世界で活躍する指揮者の自己流兵法「Inside Out型リーダーシップ」のすすめ

世界で活躍する指揮者の自己流兵法「Inside Out型リーダーシップ」のすすめ

「裸で人様の前に立てるようになって帰っておいで。」

これは私をウィーンへと送り出してくれた明治生まれの祖母の最後の言葉だ。

モーツァルトの解釈で一世を風靡した師ペーター・マーク(1919~2001)は、

巨匠フルトヴェングラー(1886~1954)を知る数少ない弟子として

「指揮の極意はその眼にあり」など、祖母と同じく禅問答のような至言を数多く残したが、

私に何一つ教えようとはしなかった。独自に生み出した兵法以外、何の役にも立たないという訳だ。

幸運なことに、これまで幾度となく世界の檜舞台で素晴らしいチャンスが巡ってきたが、

我が師の教えは見事に的中した。

ある時など公演中の指揮者が失神して、気付いたら15分後には世界最高の音楽祭の指揮台に立っていたが、「自己流」兵法は常に拍手喝采を巻き起こす魔法の杖だった。

「自己流」であるが故に自分自身とひたすら向き合い、意外にも「キライな自分」を受け入れた瞬間、「Inside Out型のリーダーシップ」は誕生した。

昔フランスで受けたインタビューの中で「何故日本から優れた指揮者が生まれるか?」という質問に、咄嗟に「武士の刀を指揮棒に持ち替えただけ」と嘯いて見せたが、それは当時読んでいたのが「五輪の書」だったからだ。

宮本武蔵と言えば巌流島。だが私は吉岡一門を薙ぎ倒した「一乗寺下り松の戦い」に思いを馳せる。限界に挑む感動的な若武者の姿とは別に、

「集団(オーケストラ)vs個人(指揮者)」という興味深い構図が見え隠れするからだ。

ヨーロッパで指揮活動を始めた頃、私はオーケストラを「集団」として意識したことなどなかった。それが日本のオーケストラの前に立った瞬間、この圧倒的な群れの属性は社会の縮図であることを思い知らされ、個人の力など笑いたくなるほど無力なことに気付いた。

そんな時、力をくれたのは武蔵だった。

「十人が斬り込んで来ようとも、その一太刀一太刀を受け流して、どの一人にも心を止めない。」

この達人の教えにより「集団vs個人」という対立の構図は、

いつしか「個人と個人」の関係性に切り替わったのである。

それまでは「強いリーダーシップ」や「カリスマ性」が指揮者の代名詞だった。

だが現代は強いリーダー像より、自分のことばを強いメッセージに変えるアーティスト、自由になれない人々を集団の無意識の呪縛から解き放ち、そこに介在する不条理な見えないルールを打ち破るリーダーを求めている。

武蔵の一太刀の教えは、「自分の尊厳を守ることが、目の前に居る一人一人の尊厳を守る」意識に繋がることを気付かせてくれた。これはあらゆるリーダーに欠かせない感覚ではないだろうか。

ビジネスでは「ブルーオーシャンを探せ」と言う。

誰も手を出していない市場を開拓して唯一無二の存在となり、

そこでビジネスをするなら成功間違いなし、という考え方だ。

私にとってのブルーオーシャンは、「キライな自分」の中から生まれた、と言ってよいだろう。子供の頃に経験した自家中毒や人見知り、集団への苦手意識などは、Inside Outしてみると、そのすべてが指揮者としての活動にプラスとなっていった。かつて私を悩ませていたはずの「一番人に見せたくない」部分は、こうして私の一番強い武器に変わったのだ。「カリスマ」の時代が終焉するなど誰が想像しただろう。だが時代は新しい価値観を求めていた。

あなたの「キライな自分」にも、時代のメッセージは隠されている。その「天才の宝庫」を魔法の杖に変えてみることはできないだろうか。「キライな自分」が武器となれば、あなたも人前で裸で立つことが可能になる。ずばり合言葉は「傷口を掴んでひっくり返せ!」。Inside Outで新たな時代の鼓動を生み出すのだ!  (航空自衛隊機関紙「翼」より)

村中大祐(指揮者)©AfiA Office

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