「原因と結果の法則」

From:村中大祐

 

こんにちは。

指揮者の村中大祐です。

 

あなたは「原因と結果の法則」(サン・マーク出版)という

ジェームズ・アレン作のベストセラーを

既に読まれましたか?

 

「聖書に次いで一世紀以上ものあいだ

多くの人々に読まれつづけている」

驚異的なロングベストセラーだそうです。

 

別にサン・マークさんの回し者ではありません。

 

実は、私はこの本のタイトルが「大キライ」なのです。

 

自分が経験したことで

理解できないことがこれまで多すぎて

原因と結果で片付けるのが

殆ど無理だったのです。

 

だからこの本を避けていました。

4冊全部買って、10年以上本棚にありますが

読んでいません。

「捨ててやろうか?」と思っているくらいなのです。

 

でも人生を生きて行くと

段々に起こったことの原因が

自然に見えてくるようになるんです。

 

過去に起こった嬉しいこと、嫌なこと、

それらのすべての「なぜ?」が分かると

自分の次元がひとつ上に上がる。

 

どうやら、そのようです。

 

私は音楽家です。

でも私にとって音楽とは

「手段のひとつ」です。

 

表現の手段か?と思われるでしょうが

実は違います。

 

私は音楽を通じて世界を観ます。

自分を観ます。

そして真実を突き止めます。

 

つまり自分にとっての真理探究のツールが

偶然、音楽だったのです。

 

だから指揮台に立っているとき

ピアノを演奏しているとき

 

そこで演奏している音楽を聴いてはいますが

実は見ているのは音ではないんです。

 

音のの向こう側に現れる「世界」を観ています。

 

私の一番影響を受けた師匠は

ペーター・マーク(1919~2001)という

20世紀最高のモーツァルト指揮者でした。

また、メンターはベルリン・フィルの常任指揮者だった

クラウディオ・アッバードでした。

 

彼らは音楽を演奏するとき

常にその先を観ていました。

音ではなく、その場で起こる現象から観えてくるもの。

 

それを「音楽のちから」、あるいは「真理」と呼んでいたのです。

私たちにとって、これはCREDO(クレド:イタリア語の信仰)

すなわち信念のようなものです。

 

世の中には音楽を演奏して、音を追求するひとがいます。

でも音の向こう側を観ているひとは

ほとんどいないのが常ですね。

 

私たちにとって

音楽とはあくまで手段です。

大切なのは音楽を通じて

何を知るか。何を得るか。何を観るか。

 

最初に「原因と結果」についてお話を始めました。

  • 音楽そのものではなく、音楽の向こう側を観ることになった、その理由とは?

 

それが明日からのお話です。

ちょっとだけ入り口をお話しておきますね。

 

私は9歳の時に父親と死に別れました。

美空ひばりと同じ、間質性肺炎という難病です。

今でも治らない不治の病だそうです。

 

私の10歳のときの小学校の卒業文集には

こう書いてあります。

「将来は医者になって、父親の病気を治す」

 

でもそれは実現しませんでした。

なぜなら、中学に入ると勉強ができなくなったからです。

 

先生の言っていることが、ある日突然聴こえなくなりました。

口は動いているし、黒板には言葉が書いてあるんですが

それを理解できない。

 

何故だかわかりますか?

 

経験に基づいた言葉ではなく

単なる知識だけだったからです。

その背景にある意味やストーリー、

先生自身の情熱、

そういったものがあれば

心に真っすぐに飛んできたはずです。

 

私のこころに先生たちの言葉は伝わりませんでした。

 

何故なら、私は家族の死を目の前で見てしまったからです。

 

壮絶な闘病の末の「死」と向き合った子供には

突然、世の中で語られている言葉が

何もかも、薄っぺらく感じられたのです。

 

私にとって中学校からの時代は、

「自分を音の鏡に映し出す」時代でした。

 

友人の言葉も、先生の言葉も

何もかもが意味を持たず

 

カトリック教会の神父さんが

毎月のように心配して訪れる。

そんな家庭でした。

 

一人っ子だった私と

そんな「難しい子供」を39歳の若さで残されて

途方に暮れた女性との壮絶な生活が

そこから始まったのです。

 

彼らの必死な生活を支え続けたのは

音楽のなかに見た「光」。

 

ただそれだけでした。

 

音楽はそのころから

私たちの希望だったのです。

 

そしてその希望こそが

世界へと通じる一本の道筋でした。

 

(つづく)

 

最後までお読みくださり

ありがとうございました。

 

日本で生まれ育った私の思いは

世界の人々の心に、

どうやら音楽を通じて届いているようです。

 

小さな子供から大人まで

様々な人種を超えて

みんな私が演奏を終えると

椅子から立ち上がって拍手をしてくれることが

最近増えてきました。

 

とても不思議な感覚です。

私には何故だかわからない。

今行った演奏ではない気が

いつもしているんです。

これは一体何なのか?

 

わたしが特に不思議に思うのは

私の幼い頃、日本に居て感じたことが

 

こうして大人になった今、

世界中の人々に理解してもらえるということ。

 

音ではなく、私が見ている音の向こう側の話です。

 

それはまさに奇跡としか思えません。

 

今までは作曲家が凄いからだ、と思っていたし

自らそう語ってきました。

 

ベートーヴェンの偉大さや、

マーラーのすばらしさを

これまでは語って来たのです。

 

でも何だか嘘くさい気がしてきたのです。

 

だって私は日本人じゃないですか。

 

言ってみれば相撲の世界に

アメリカ人が入門したようなものでしょう?

 

「相撲は神事だ」と言った人がいましたから

音楽なんて、それこそ西洋人の神事ですよね。

 

私の音をそっとあなたの心に贈ります。

 

私の音を通じて、

私が見た世界や人々の考え方、

その世界観をお届けして参ります。

 

音楽を理解する必要などありません。

音楽を超えた「その先の世界」を

一緒に楽しもうではありませんか。

 

旅の続きはまた次回。

 

今日も素敵な一日を。

 

横浜の自宅から

村中大祐

 

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