【違和感を進化させる方法】

【違和感を進化させる方法】

 

ホンモノの自由と豊かさを

謳歌していますか?

 

村中大祐です。

 

今日は

 

「違和感を進化させる」です。

 

■■編集後記

 

こんばんは、村中です。

 

 

このところ

 

ワーグナーの歌劇「マイスタージンガー」を

毎日歌っていますが

 

本当にドイツ語が難しい。

 

「あれ?こんなに難しかったかなぁ。」

 

これが私の感想。

 

私はワーグナーの勉強を始めて

既に四半世紀以上になりますが

 

シューベルトやブラームス、

 

ベートーヴェンやシューマン、

 

そしてメンデルスゾーンを

 

自分の腹心の友として

 

やっとこさワーグナーに辿り着きました。

 

 

 

勉強はもちろんしていましたが

 

それはそれは

大変長い道のりでした。

 

 

 

思えば文化庁から

イタリアへ送られたのは

 

このワーグナー研究のためでした。

 

「文化庁在外派遣芸術家」に選ばれたのは

忘れもしない

1996年の冬のことです。

 

ハンガリーでチャイコフスキーの

「悲愴」交響曲を指揮して

 

駅で財布とウィーンの家の鍵を盗まれ。。。

 

 

 

その後ウィーンからローマへと

拠点を移したわけですね。

 

 

もう20年も前とはね。

さすがに経験豊富ですわ。(笑)

 

 

さて、イタリアへ送られるには

それなりに大義名分というのが

要るわけですね。

 

私の場合イタリアに行ったら

ひとつだけ

 

どうしても深めたいことがあったんです。

それはゲーテの「イタリア紀行」でした。

 

 

 

???ですよね(笑)。

 

 

でもこれだったんですね。

 

ワーグナーってのは

ゲーテの真似をして

シチリアのパレルモくんだりまで行き

そこで聖典劇「パルシファル」を書いたんです。

 

だから中心街のHotel delle Palme(ホテル・デッレ・パルメ)

という最高級のホテルは

 

ワーグナーが逗留して

オペラ「パルシファル」を書いた場所、

 

となっています。

 

パレルモでその足跡を訪ねるとですね。

 

やはりすべては

ゲーテが先人なんです。

 

ボタニック・ガーデン(植物園)とか

パレルモには

それこそ凄いのがあるんですね。

科学者だったゲーテは

植物学についても権威だったんですが

そこにワーグナーの「パルシファル」の

深ーい部分がアクセスするんです。

 

 

メンデルスゾーンもパターンは

まったく同じです。

 

ゲーテに実際に会って

メンデルスゾーンは

ゲーテの秘蔵っ子になるんですが

 

それからイタリアに

足繁く通うようになるのも

 

これまたゲーテの

「イタリア紀行」の影響なわけです。

 

でもメンデルスゾーンは

実はナポリまでしか行かないんです。

 

 

 

もっと南のシチリアまで行ったのは

ワーグナーだけ。

 

 

 

私の場合はワーグナーやゲーテを

家に泊めたことのある

貴族たちとの親交があるので

 

そこから

本当に貴重なことが

皮膚感覚でわかりました。

 

あの名演出家ルッキーノ・ヴィスコンティが作った

イタリア映画「山猫」(Gatto Pardo)に出てくる一族なども

 

実はノン・フィクションですから

末裔たちがまだ生きていて

 

彼らは私の知り合いだったりします。

(これはイタリアでは普通の話です。)

 

 

 

世界ってのは意外に

東と西のスパンで

モノを見る人が多いですが

 

やはり南北のダイナミズムは

 

ヨーロッパの文化を

身体で知る上で

本当に大切です。

 

更に言えば

ギリシア・ローマからの影響だけでなく

アラブの影響も感じた方がよい。

 

 

まあ、そんなことから

私は文化庁への大義名分として

 

「ワーグナーとゲーテ、そして

モーツァルトを本格的に研究する」と

 

銘打ったんです。

 

これが当時の審査員だった

お歴々の目に留まり

めでたく音楽の分野では初の

 

「音大外からの登用」となります。

 

もう生まれて初めてですよ。

私が大きな日本の団体に認められたのは。

 

それまで「学校」と名のつくところでは

 

すべて「落ちこぼれ」

或いは「落伍者」

 

で通ってましたから。

 

 

この大義名分のチカラは

確かに大きいですね。

 

え?どうやって見つけたかって?

 

いいえ。

 

誰からもアドヴァイスなんて

もらってませんよ。

 

実はこれも私の言うあの

「違和感」から来ているのです。

 

私はウィーンの学校で

最初は指揮とか自信がないので

何か自分が先生に

アピールできるものはないか、

 

とにかく探してみたんです。

 

その時に

唯一これはいけるかもしれない、

と思って目をつけたのが

オペラの授業でした。

 

オペラの勉強は

ピアノを一人で弾きながら

全パートを自分で歌うわけです。

 

これ結構難しいです。

もちろん相手はウィーン人。

 

ドイツ語は母国語なので

間違うとひどい目に遭います。

 

嘲笑もいいところ。

でもやるっきゃない。

 

アピールするために私が考えたのは

 

なるべく人がやらない

チョー難しい作品をやる

 

そういうことにしたんですね。

 

 

それで最初にワーグナーの

「トリスタンとイゾルデ」を

持って行った。

 

当時23歳ですよ。(笑)

もちろん作品を

見たこともない。

 

でも有名な「前奏曲と愛の死」だけは

リストの編曲版とか弾いていたんです。

 

でもオペラ全曲となれば

全くの別物です。

 

その勉強のために、

まずは録音を探しに行くと

さすがに色々あるんですね。

 

そこで10種類くらい

よーく聴いてみました。

 

すると普通はドイツ音楽なんだから

ドイツ人が一番

ワーグナーを指揮するのが上手いと

そう思うじゃないですか。

 

でもドイツ人だけで

演奏するワーグナーって

 

意外とあんまり面白くないんですね。(笑)

 

これがまさに私の言う「違和感」。

 

なんだかドイツ人の指揮する「トリスタン」は

当時の私には

あまりしっくりこなかったんですね。

 

聴いてみると

何故だかイタリア人の指揮した

ワーグナーの方が面白い。

 

ドイツ音楽の一番難しそうな作品を

なんでイタリア人が上手いのか?

 

これなんですが

 

調べてみると

意外にイタリア系の指揮者は

トスカニーニ以降

非常にワーグナー演奏では

評判が高いのですね。

 

それにワーグナーは生涯で

イタリアで過ごすことが多く

 

彼の作品はその

殆どがイタリアと

関係があるんですね。

 

そしてワーグナー自身も

イタリアのヴェニスで

天に召される訳です。

 

こうなればもう誰だって

 

イタリアで学ぶのは

「イタリア・オペラ」じゃなくて

 

ワーグナーとゲーテ、そしてモーツァルト。

 

そうなります。

 

 

ゲーテは1年半近くも

ローマに長く逗留しましたし

 

そこで「ファウスト」の草稿を作ったり

あの「エグモント」を作っているんです。

 

モーツァルトはイタリアで

幼少の頃から滞在しては

言葉だけでなく

 

対位法っていう作曲技法を学んで

 

ミラノでは20歳くらいでもう

大作オペラ「ルチオ・シッラ」

なんてのを作ってます。

 

モーツァルトのオペラってのは

その殆どが

イタリア語の作品なんですよね。

 

でも「ドイツオペラ」だって

イタリア人は言うんですよね。(笑)

 

 

違和感ってのはすごく大事なんです。

それは自分だけの感覚。

 

自分の「違和感」に従ってみると

私の場合は本当に「豊かさ」と巡り合えるんです。

 

外れたことはありませんよ!

 

それで結果的に

その後どうなったかというと

ローマに行った後

東京のまだできたばかりの

新国立劇場デビューの

切符が手に入ったんですね。

 

モーツァルトの「魔笛」でした。

 

これは以前も書きました。

もう不思議なんですね。

 

 

奇跡が起こったようになる。

 

だから自分だけの人生を歩むつもりなら

ちょっと人とは違う人生を体験するなら

ホンモノの自分の人生を掴みたいなら

 

「違和感」ってのはとても重要だ、

 

と言いたいわけです。

 

 

ほんのちっぽけなキッカケでしかないようにみえますが

 

でもそこから人とは違う方向に

足を踏み出せるんですね。

 

後はやるだけ。

行動に移すだけです。

 

違いますか?

 

村中大祐



【指揮者村中大祐メルマガMuranplanet】2018
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