「自然と音楽へのマインドセット」

ホンモノの自由と豊かさを謳歌していますか?

村中大祐です。

今日は「自然と音楽へのマインドセット」についてお話します。

■編集後記

 

どうも。村中です。

 

わたしは2011年から「自然と音楽」演奏会シリーズを

イタリアやロンドン、そして東京で開催してきました。

最初は東北大震災の2か月後。

 

海をテーマにイタリアで震災追悼公演をやりました。

この時の話は既に各所でお話しているので

割愛しますね。

 

そして2013年、横浜で「海の日」に公開リハーサル、

東京の浜離宮朝日ホールでシリーズ第1回を開催して

以来日本では12回を数える公演を行いました。

ロンドンではこれまでに7回、

イギリス室内管弦楽団との公演を成功させていたこともあって

 

2016年にはオランダのロッテルダムで

イノヴェーション・アワードのファイナルステージに

世界3000団体のなかから最終10団体のひとつに

私の「自然と音楽」演奏会シリーズが選ばれたのですね。

 

本当にビックリ仰天でした。

 

でもそのコアな発想はどこから来たか?

 

幼い頃の自然との戯れ。これですね。

 

わたし、ガキの頃から

本当にのっぱらで遊んでました。

 

まあ、普通ですよね。

ザリガニ、クワガタ、スズメバチ。カブトムシ。野鳥。

カエル。昆虫。。。。挙げたらきりがないですが

そんな生活です。

 

山の斜面を走ると

下降は極めて危険ですね。

でもダッシュしてました。

 

よく水はけをよくするために

敷かれていたコンクリートの溝に

斜面を駆け下りて足を取られました。

 

今でも弁慶の泣き所に

両足ともくぼみがあります。

若き日の勲章ですな。

 

高いところから落ちることも

度々でしたが

その都度胸を打って

息ができなくなることもしばしば。

 

でもしばらく放っておくと

息が戻ってきます。

 

石の投げ合いをして

血が噴き出すようなシーンもありましたし。

昔はそんなのは当たり前。

 

正直コワかった。

今考えれば、よくあんなことが

できたものだ、とそう思います。

 

でもそう言った幼い頃の自然のなかでの

育まれた記憶。

 

これは大切です。

 

私はローマの南西にある

Frascatiフラスカーティという街に

10年くらい住んで居ましたが

 

ここは有名なアッピア街道と平行して流れる

Via Tuscolana

トゥスコラーナ街道という道の

終着点です。

 

フラスカーティ自体はローマより400メートルの高台にあり

気温が4度ほど低いわけですね。

夏が45度近くになった90年代、

私はこの高台の少しでも涼しい場所に

住むことを選んだわけです。

 

あの安い白ワインの産地。

ゲーテが飲んだくれたワイン小屋が

今でも白ワインをふんだんに

提供してくれています。

 

そこにはトゥスコロという場所があります。

Tusculum(トゥスクルム)とラテン語で言いますが

現地のイタリア語ではTuscoloです。

ここまで、ローマの中心から伸びた道のことを

トゥスコラーナ街道と呼ぶのです。

 

そこに昔のエトルリア人の遺跡があります。

現在ではスペイン政府が管理していますが

ローマ人以前のエトルリア人の作った

ギリシァ円形劇場(アンフィ・シアター)などが

原型をとどめていて非常に興味深い場所です。

 

でももっと興味深いのは

そこの自然がまったく人間の手が入っていないこと。

 

つまり3000年前と同じ風景を

私たちが今でも見ることができるのです。

 

ゲーテはこのフラスカーティという街で

安い白ワインを飲みながら

この自然をデッサンしていました。

「イタリア紀行」にそのゲーテ自身のデッサンを

見ることができます。

 

もちろん画家マネなどもローマを訪れて

この自然を描いていますから

当時の芸術家たちを魅了するだけの

美しいものだったのでしょう。

 

私は自然と人間の歴史について

この場所でふと思ったのです。

 

「ああ、私たち日本人は

こういう自然が残されている場所を

もっと守らなければならない。」

 

なぜなら、子々孫々と

毎日見ている同じ風景が受け継がれることは

私たちの記憶が受け継がれることに等しいからです。

 

1000年前の祖先が見ていたであろうものと

同じ自然を目の前にする贅沢。

 

これも豊かさのひとつだと

単純に思う訳ですね。

 

ローマの街がひとつの良い例ですが

 

ひとの生きざまや歴史は

ローマという街に

そのすべてが刻み込まれ

記憶されている。

 

ローマを訪れたことがある人なら

その印象を誰もが持つのではないでしょうか。

 

つまりここTusculumでは

3000年の人間の記憶や生きざまが

この「自然のなかに」

まるでコンピュータ内のアーカイブのように

残されていく。

 

それを子孫たちが紐解き、また眺めながら

今度は自分たちの生きざまを

そこに残していくわけです。

 

自然はわたしたちの営みの

全てを見ている。知っている。

 

そう感じたわけですね。

 

目で見えないところ。

そこがミソなんです。

 

音楽を聴くと

作曲家たちが残した「自然の印象」を

音のなかに聴きとることもできるのです。

 

私が音のなかで伝えたいのは

まさにその点です。

 

自然が残したもの。

音が残したもの。

 

こういった「見えない世界」を

自然のなかに探すのも

音のなかに探すのも

豊かさへと通ずる道なのです。

 

「自然と音楽」という

いずれも世界の共通言語を

テーマにした私のライフワークが

世界の音楽家たちにアピールしたのは

彼らが本質的に

音を「見えないもの」として

感じているからです。

 

ベートーヴェンやマーラーの世界と出会うには

実はこういった「視点」を得ることが必要です。

 

でもひとたびこの感覚を捉えたなら

きっと誰でも

自分なりの感性で

音楽と向き合うことが

いとも簡単にできるようになる。

 

次回は私がどう音楽を感じて

それを音のなかに込めているか。

お話ししますね。

 

村中大祐

 

■P.S.

 

メンデルスゾーン:交響曲第4番「イタリア」について

次回お話しようと思います。

一応、これ↓も聴いてみて。

そしてあなたのイメージを

是非教えてください。(mail@aria.info)



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