【私やっぱり強い音、キライ】

どうも。村中です。

今日は「私やっぱり強い音、キライ」です。

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■編集後記

どうも。村中です。

わたしやっぱり、強い音キライです。

これまで色々な国で音を観てきました。

ウィーンに始まり、ミラノやロンドン、

ローマやニューヨーク、

メキシコやドイツ、

フランスやスイス、プラハやブリュッセル。

 

本当にいろんな所で

様々な音を聴いてきました。

 

でも日本みたいに

強い音を弾く場所はあまりない。

 

寄り添う感覚じゃないんですよ。

 

合わせる感覚なの。

猫も杓子もハーモニーと言うけれど

日本語で

このHarmonyハーモニーって

ちゃんとホントに

理解されてるのだろうか。

 

これ疑問です。

 

ウィーンってのは

凄く不思議な場所で

Wiener Schlamperei

ヴィーナー・シュランパライ(ウィーンのいい加減さ)

って言われるくらい、結構いい加減な街なんですよね。

 

ドイツ人のようなきめ細かさはないの。

もっとテキトーです。

 

それに彼らのやる音楽文化は

基本的に初見演奏。

初見ってのは

楽譜置いて、いきなり演奏する。

準備なし。待ったなし。

 

そこでは、きっちり練習するより

「オンガクする」ことが大事になる。

 

「オンガクする」ってなあに?

って訊かれると困るんだけど(笑)。

 

実は「音楽を感じる」ってこと。

ウィーンでは音楽を

一緒に演奏して「感じる」ことに

特別な言葉がある。

 

「ムジツィエレン」Musizieren

これは日本語で「オンガクする」っていうの。

「音楽を感じる」こと。

 

だから劇作家のアルトゥール・シュニッツラーとか

ウィーンの作家たちの作品には

常に音楽の話が出てくるけれど

この「音楽を感じる」ことが

文化になっているわけ。

 

やっぱり「音楽は感じるもの」。

 

つまり「クラシック音楽の処方箋」①の

パオロの話になってくる。

 

でも音楽を「感じて」行くと

だんだんと「違い」に気付くようになる。

 

私の場合、最初は歌やピアノだった。

それが指揮者をやってみたら

実は天職で、しかも世界中で聴くことになった。

 

いつも言うように「指揮する」って

「聴く」ことだからね。

 

そうやって耳を澄ませてると

いろんな色や温もり、豊かさに出会うようになる。

 

ウィーンでRシュトラウスの「エレクトラ」を聴いたとき

本当にビックリした。

クリスタ・ルードヴィヒという

往年の歌手の引退公演で

私は当時学生で立見席だった。

 

でもその演奏の見事さは

それまで聴いたウィーンフィルの演奏のなかでも

まさに最高のものだった。

 

何故なら彼らが共に仕事をしてきた

数十年の友とも言える宮廷歌手が

辞めるから、敬意を込めて演奏したんだよね。

 

そういう時のオーケストラって

本当に心から優しい音がする。

 

しばらくして

実際に自分でイタリアの大劇場で

プッチーニの「マノン・レスコー」を指揮したとき

本当にビックリしたのは

その音の柔らかさだった。

まるで羽毛のような音。

 

イギリスでグラインドボーン音楽祭に行ったとき

ロンドン・フィルを指揮したけれど

別に強い音なんて

どこにもなかったね。

みんなが音を寄せ合って

歌手に寄り添って演奏する。

 

それでも歌手の声がオーケストラに

かき消されてしまう。

 

イギリス室内管弦楽団と演奏していて

いつも思うのは

彼らの音はまるで海の波のよう。

波が岩にぶつかったときの

しぶきのような

泡のような音があるの。

 

キラキラしてる。

日本のオーケストラにもそれができるはず。

そう思って指揮台に立ってきた。

 

これ、すべてマインドセットなの。

 

最初に知っておかなければならないこと。

 

楽器ってのは温まるまでに時間がかかる。

それは物理的な温度だけじゃなくて

バイブレーションなの。

 

振動だから

響き合って段々に

楽器が鳴って来る。

 

そのときに

一番美しい、一番やさしい

響きの上澄みだけを抽出して

それを他の音と寄り添わせる。

 

海外のオーケストラのひとは

そういったアンサンブルを楽しむ文化を

ちゃーんと持っている。

 

日本人にだって

そのくらいできるはず。

 

そう思うでしょ?

でもやっている人が少ない。

 

何故だかわかる?

 

誰かが「強い」ものを目指してると

皆がその「強い」人に合わせなきゃいけなくなるの。

 

その「強さ」に従わないと

群れから追い出されるかもしれない。

 

わたしにはそう見える。

 

実は「強さ」は弱さの裏返し。

わかるよね。

 

京都に行くといつも思う。

自分の父親の生まれ育った街だけど

いつも思うのは

京都で売っている服とか

土産物屋の色って

ちょっと色が「暗いなぁ」と思う。

あるいは色が「強いなぁ」と。

 

自分が現代人だからからなのか

その原因を考えてみたけど

やっぱりどこかに

「黒」が混ざっているような気がするの。

すべての色に。

 

それはきっと街の色なんじゃないか。

街のバイブレーションにも黒があるの。

 

それが「日本らしさ」だと

京都人は長い間言って来たわけ。

 

だけど、どう見ても美しくない。

ピントが合うときも

まあないとは言わないけど。

 

京都の色って

どれも黒が基調にあっての

色みたいに見えるけど

 

黒って「強さ」だよね。

すべてを飲み込んでしまうほどの。

 

日本人は「強い」リーダーには憧れがある。

 

でも時代が要求しているのは

実は「強さ」じゃない。

 

どちらかって言うと

しなやかさ、の方だと思う。

優しさとかね。

 

日本的ってのも、

これから変わって行かなきゃ。

その時、色に気を付けて。

 

墨のような黒は絶対に避けて。

黒にもいろいろあるし。

 

光と影のバランスがとれるような

そんな黒もあるの。

 

闇じゃないの。影。

そういう違いに気が付くこと。

 

音楽ってのはそこまで行ける。

「感じること」を

もっと音楽で観てみたらどうだろう。

 

今日はすごく感覚的な話したよ。

考えてみて。

 

村中大祐

追伸:http://clubmuran.info

ここから↓の小冊子やビデオを読むと

この話の意味がよく分かるようになるよ。



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