タントリスで思い出した記憶

今ワーグナーの「トリスタン」のスコアを読んでいて思い出した事がある。

昔、ウィーンの音大の演奏会で、

このトリスタン第1幕をスウェーデン人歌手たちとピアノ演奏した記憶だ。

コレペティトール(オペラ歌手コーチ)のクラスの試験か何かで、
ウィーン国立歌劇場のピア二ストが試験官だったこの試験演奏会。

今となっては良き思い出だが、ウィーンでは何かとピアノを弾かされた。

ある時はピアノクラスの試験演奏会で、

ブラームスのピアノ協奏曲第2番の伴奏部分を

弾かなければならなかった。

指揮者の訓練にはどうやらピアノが付き物のようだ。

ワーグナーと言えばウィーン留学当時、
その古臭いドイツ語の読み方について

ウィーン大学のオーストリア人と議論した覚えがある。

例えばgehenのhを通常は発音しないが、

それを意識して発音するようにすると

楽劇全体の印象が変わるワケだ。

古語の扱いは、いずこにおいても兎角難しい。

1990年の5月20日、わたしは外語大を卒業時に
音楽をすることを目指し、売り手市場だった就職オファーを全て断って

決死の覚悟でウィーンに渡航した。

今となっては笑い話だが当時の私は真剣で、

トヨタやソニーなど、優良企業からの話をすべて断ったことから

かなりひどい状態の胃潰瘍になっていた。

ある時などは、当時大学があった巣鴨まで大船から通う途中で

行き倒れとなり、東京駅の救急に担ぎ込まれたこともある。

まあ、そんな思いでウィーンに渡ったことから

「決死の覚悟」はご想像いただきたい。

そもそもピアノを弾くつもりでいたのだが

どういうわけか、外語大在学中に行ったピアノリサイタルで

ピアニストという選択肢にあまり面白味を感じなくなっていたのだ。

それで指揮者を目指す、というのもおかしな話だが、

それは私の「リーダーシップ論」その1に書いてあるので

ここでは割愛する。

ウィーンに渡ってから、何をおいてもまず最初にしたことは、

ゲーテの「ファウスト」を原語で読む為の先生を探すことだった。

ある意味通常の専門家教育を受けていない日本人が、
ウィーンの音楽学校に、しかも指揮の勉強をしないのに

いきなり指揮科に入れるかは全く分からないので、

死ぬほど不安だったくせに、せめてのやせ我慢で、

とりあえずはドイツ語だけでも磨くことにしたというワケだ。

そうは言うものの、高邁で生意気な若者の理想は結構役立つもらしく、

意外に簡単にウィーン郊外に住む老婦人を紹介された。

週一回のレッスンで勧められたのは、何と「ファウスト」の音読だった。

音読は日本も同じ。
寺子屋の習いのつもりで、まずはやっでみた。

ところが、これが後で非常に役にたったのだ。

考えて見れば般若心経でも音読していると、

言葉の音(おん)から新たな発見が生まれるのと同じで、

音読の効果は絶大だった。

今でも「ファウスト」の序章はそらで覚えているくらいだし、

それを今でも思い出しては、様々な局面で役立てているのだ。

外語大時代、わたしはオーケストラの集団性が怖くて
その部室に入ることができず、

代わりにESS(English Speaking Society)の英語劇に携わり、

大学4年間はTIAFという組織のなかで演劇をかじってみたわけだが、

それも結果的には役立ったようだ。

セリフの音読とはリズムであり、テンポ。

そして音楽の演奏の肝は、何と言ってもこのテンポ感なのだ。

R.シュトラウスの言葉に次のようなものがある。

Das Problematik vonTemponahme wird eigentlich

vom Tempo des Textlesens aufgelöst.

「歌詞をよむスピードが音楽のテンポを決定する」

これは指揮者のSir Georg Soltiショルティさんが、シュトラウス存命中、

ミュンヘンの「ばらの騎士」公演リハーサルに

作曲者ご本人をお招きして、

当のシュトラウスから聞いた話の受け売りだ。

ワーグナー、モーツァルトやプッチーニだけにとどまらず、

この鉄則は音楽の全てに通用する真理なワケだ。

似たような話はイタリアにもある。

スカラ座で1950年代にマリア・カラスが出演した

ヴェルディの「椿姫」の最初のリハーサルでは、

指揮者のカルロ・マリア・ジュリー二氏と演出家のルッキーノ・ヴィスコンティ氏が、

主演のカラスと2週間、ただひたすらテキストの読み込みをしたていう。

もちろん音楽無しで、卓上でのリハーサルを2週間である。

またその同じ戦前から戦後にかけて活躍した指揮者で、

数々のイタリアオペラの録音を残したトゥリオ・セラフィンは、

自分の楽譜の歌詞全てに発音記号を記載しており、

それをイタリア人歌手たちに(!)にリハーサル前から書き写すことを義務化していたという。

私は血気盛んな、若くて新進の指揮者だった当時、
日本のオペラ制作現場で似たようなことをやってみた。

だが多くの歌手たちはこれに真っ先に嫌悪感を示した。

若い指揮者に対する偏見もあっただろうが、

何より外国語に対するコンプレックスから来る拒否感だったのが

とても印象的だった。

これに閉口した私は、

その後自分で立ち上げた横浜のプロダクションでも

同じことを若い歌手たちに徹底してみたところ、

まあ何とかやりたい方向性は貫き通してはみたものの、

絶大な労力が掛かるわりには、

歌手たちの空気感は

こと言葉に関する限りネガティヴだった。

その公演の内容自体のクオリティは、

ある意味世界のどこに出しても

恥ずかしくないものだっただけに、

今となっては偏見というものが持つ恐ろしさを感じるほか

何とも言いようがない。

私はヨーロッパの現場で経験した事実を適用しただけだ。

そのために自分の時間をかなりの部分費やしてきたわけだが

ある歌手に言わせれば、

例えばモーツァルトの「フィガロ」をやると、

私のテンポより「カール・ベームのテンポはもっとゆっくりだ。」

というのがその言い分だった。

この歌手はどうやら2000年代になっても、

1980年代の録音を中心に勉強して来たようだが、

それについて、私が別に理解しないワケではないのだ。

でも、だからと言って自分の意見がない、

と言うのは、私に言わせれば犯罪者みたいなものなのだ。

自分を表現するチャンスに恵まれた立場にいる「アーティスト」が、

表現する手段をもっていながら

自分を表現できない、というのは

犯罪以外の何物でもない。

私はそう思っている。

それは声を出す以前の、表現者の矜持とでも言うべきものだ。

私は声楽については、数々のヨーロッパ歌劇場の現場経験以外にも、
エリーザベト・シュヴァルツコプフのザルツブルク音楽祭講習や、

ライラ・ゲンチャー、レジーナ・レズニクといった大歌手たちの

イタリアでの講習にお付き合いしたし、

歌曲については外語大時代から、

エリック・ヴェルヴァやライナー・ホフマンの前で

実際にピアノを演奏して来た。

他の人と比べるなら、もっと優れた経験を積んだ者が

きっと日本に大勢いるのだろう。

だから私は敢えて今まで語るのを良しとはしなかった。

でもある程度の年齢になってくると

伝える義務のようなものを感じるようになった。

おそらく、私のテンポに疑問を投げかけた

このようなタイプの歌手は

自分のアタマで考える為の材料を、

教育や現場の中で与えられて来なかったのではないか?と思う。

この傾向は実は1人ではない。

大多数がこういうやり方、

つまり人の真似から入るワケだ。

わたし自身がよく使う例として

ピカソが如何にしてベラスケスを超えたか?

という話をするときに

「ピカソはプラド美術館に日参するなかで

さんざんベラスケスを模写しながら

その技術や眼を磨いていった」

というエピソードを使うように、

私とて、ある意味模倣を創造の原初とする立場でもある。

だからと言って、模倣は表現ではない、というのが

ある意味アーティストの矜持でなければ、

表現者の資格などないのではなかろうか。

歌手だけでなく、同じことは指揮者についても言えると思う。

指揮者にとってオペラを指揮することの意味とは、

全体と部分の構築を修練する場、と言うことに尽きると思う。

これは私がこの年になってようやくわかり始めた真実であり、

其処で重要なファクターこそが、

言葉の音とイントネーションに習熟することだ。

偉大な音楽家たちが皆口を揃えて言うのは、
テキスト、テキスト、テキスト。

テキストには残念ながら言葉がついている。

言葉も音であり、誠に残念なことに音楽の一部なのである。

つまり歌詞をきちんと消化しろ!と言うこと。

覚えるだけでなく、表現まで昇華させること。

そうしないと、言葉が音楽の一部になりえない。

モーツァルトやワーグナーの作品においては、
レシタティーボや語りの部分の歌詞のリズムを

指揮者が上手く指導できないなら、

その前後にあるオーケストラ付きの音楽が、

全体の中でその存在の整合性を失なってしまう。

これを誰かピアニストに任せようとする人が多いが、

それは本末転倒な話だ。

もちろん自分ができた上で、他者にアウトソーシングするなら

話は理解できるが。

オペラ全体を俯瞰するのに必要な立ち位置とは、
歌詞のリズムを完全に把握した上で、

ドラマや音楽を云々することである。

でも其処には歌手たちの協力が必要だ。

上記に挙げたテキスト(言葉)が持つ重要なファクターについて

全世界で当たり前とされていることが

私の国で行われないとするなら、

オペラを上演する意味はないと考えている。

我が師は何も教えようとはしなかったが、
自分のオーケストラ・リハーサルで、私にオペラ全曲を歌わせた。

このワーグナーの「トリスタン」も、である。

そして言葉を間違えると、烈火のごとくに怒り狂ってみせた。

たった一言でも、である。

その意味は極めて深いと思う。

日本でオペラ関係者が「良いコレペティが少ない」とこぼすのを

昔よく聞いた覚えがある。

今は変わったのだろうか。

ここ7年近くオペラから遠ざかっているので

状況が変わったと祈るような思いだ。

そう言われる背景には、この歌手たちが抱える心の闇がある。

そして更に言うなら、

日本人全体に巣食う、

あの外国語に対するコンプレックスがあるような気がしてならない。

ホンモノの歌手になるのは、だから大変なのだ!

(注意:あくまでも私見であり、自分への戒めとして

自分への覚書程度に書いたものである。これを読んで傷つく者がいるとするなら、

別に気にすることはない。ご自分の信じる道を歩かれよ。くだらない戯言と、ご放念くだされたし。)

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