指揮者の交渉術②「優勝したって大変な指揮者業」

From:村中大祐

コンクールに優勝した経験のある人ならわかるのですが
何事も交渉なしでは前に進まない。

それは音楽の世界でも全く同じです。
代理人であるマネージャーとも
最初の契約にあたり交渉は必要です。

だからどんな職種にも交渉は必要。

ただ稀に面白い仁徳のある人がいて
相手がどういうわけだか
すぐに自分の味方になってしまう。

そう言う人は問題なく皆が協力してくれます。
私はどちらかと言えば
皆が協力してくれましたが。

それでも最初のうちは
交渉しなければならなかった。

そんな指揮者の交渉について
すこしばかりお話しています。

コンクールに優勝したからって
約束された演奏会が
実現するとは限らないのが
この世の不思議なところ。

外国って約束守られないこと
多いんですよね。

是非読んでみてください。

=====================

From:村中大祐

コンクールと言えば
今は猫も杓子も優勝、優勝、
もう誰がどのコンクールを取っても
あまり興味がわかない昨今。

そのくらい日本人の能力は優秀。

かくなる私もコンクールに行けば
必ずファイナルステージまで残る時代があった。
ある年などは1年に2度第一位を取ったことがあるし
ある年は1年に3度、最終選考まで行きながら
無理やり1位を取らせてもらえなかった年もあった。

だからある意味コンクールのことは
良く知っているつもりだ。

裏側がどうのこうの、と言うよりも
やってみれば本当に実力が試されて
なかなか面白いのがコンクールなのだ。

だから若い音楽家を見つけては
世界中のコンクールを受けに行け!と言うのだが…

昨今海外に出るのは嫌というか
「お膳立てをしてもらいたい」というのが
顔に書いてある。

それを見るとすごく可愛そうな気持ちになる。

だって、やはり経験を積むことでしか
人間は成長できないのだから。

自分の体験でしか人に何かスペシャルなものを
伝えることはできないのだから。

さて、コンクールで優勝すると
いくばくかの賞金と
いくつかのコンサートが与えられる。

運の良い人はそこでスターダムにのし上がる。
それも実力。

私の場合、コンクールから仕事につながったと言うより
コンクールを通じて培った人間関係から
ヨーロッパの大きな劇場での仕事が舞い込むようになる。

だが、コンクールで得られたコンサートというものは
それを実現まで持って行くことすら大変なのだ。

マネージャーが居れば別だが
大抵の場合は若いアーティストに
マネージャーなど居ないわけで

そうなるとコンクールの優勝賞品として与えられた
オーケストラとの演奏会は
実施されるにも交渉力が
若い指揮者の側に要求される。

私の場合は当時ウィーンに居て
イタリアのコンクールに優勝したが
8~9か所での演奏会が優勝賞品だった。

だが、家で待っても連絡が来るわけはない。
こちらから先方に連絡しなければならないのだ。

そうなると、売り手市場とは言えない指揮者の世界。
こちらから色々な手続きをしなければならなくなる。

つまり優勝したことの証明。
これにコンクール事務局の証明が必要になると
イタリアまで連絡して、それを入手しなければならない。

入手した資料を今度は演奏会が企画される「べき」
オーケストラの事務局にfaxで送り
(ちなみにまだインターネット普及前である)
大抵の場合、半年や1年後、ひどい場合は2年後の
予定を決めていかねばならないわけだ。

先方のオーケストラにも予算があるわけで
若い指揮者の場合は先方の言い値でこちらの値段が決まる。

酷い場合はただ同然で扱われる。
そこをどうやって交渉するか。

国によっては指揮者が受け取る値段が変わる。
そこをどうやって調査し
自分の考えを相手とすり合わせるか?

曲目はこちらの言い分など殆ど通らない場合が多い。
そこをどうやって自分のレパートリーと
うまくすり合わせながら相手と折衝するか。

そんな毎日がコンクールに優勝した時から
始まったわけだ。

ウィーンでたった一人。
誰にも相談はできない。
というか相談をしている間がないのだ。

交渉とはすぐに、その場で即断即決の必要がある。
ゆっくり決めるというのは
かなり経験ができたからだ。

最初は相手の言い分を聞きながら
自分のやりたいことを
多少なりとも優先させてもらえるよう
何とか話をすり合わせるわけだ。

そうなれば、もう指揮者も普通の商売と一緒。
セールスマンも指揮者も同じなわけである。

ちなみに私の優勝したコンクールの賞品
8~9か所の演奏会を例にとると
実現したのは覚えている限り5か所程度。

一か所はブルガリアだったか。
指揮させてやるが、金はないから
全部お前持ちでおいで、というから
断ったのはハッキリと覚えている。

「私はプロフェッショナルの指揮者だ。
そう言う条件は受け入れられない」

そう断った覚えがある。
まだ20代の後半だった。

後の4~5か所は今でもまだ
コンクール賞品としての権利が残っているはず。

明日からの一週間で
連絡をとってみたら
意外と招かれることになるやもしれぬ。

交渉に限らず
何事もやってみなければ
成長はない、ということ。

失敗を重ねながら前に進むのみ。
違いますかね?

今日も心から素敵な一日を!
横浜の自宅より
村中大祐

メルマガ登録はこちら↓

メルマガ登録は➡こちらをクリック

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です