クラシック音楽の処方箋

「クラシック音楽の処方箋」というPDF書籍を2冊書いたのは2015年くらいのことでしょうか。

ほぼ思いつきで書いたんです。笑

わたし、書く内容はいつも、何となく出て来るんです。
偶然とか、出会いがしらを利用するわけですね。

そういう発想は、おそらく「瞑想」とかしているからですが、前にも申し上げたように、ホント雑念を大事にすると、どんどんアイディアって、出て来るものなんです。

だから、是非試してもらいたいんですが。

でも、もっと突っ込んで話をするなら
むしろもう、音楽をすること自体が

そういった「ポン!」という感じで
アイディアとして出て来るわけです。

何年も演奏していない曲とか
勉強していないのにとか

突然、ある朝アタマのなかで流れたり。

これ、全部エネルギーなんですよ。
自分のエネルギーとどう向き合うか、です。

音楽とは目に見えないもの。

だから、本来なら「わからないもの」のはずです。

でも感動したり、ワクワクしたり、癒されたり。

わからないものなのに、わかったフリをする人が
日本にはホントに多かったんですが

最近、そういうの、だんだんなくなってきたので
嬉しい私です。

そこで敢えておススメしますが

音楽を通じて本当に自分の感性を磨くことが可能になるための方法というのがあります。

そういうのを教えるのが私の仕事です。

ユニフォームじゃなく
自分の感性で。

髪を切るのも
ハサミではなくレザーで。

料理もレシピというより
直観による組み合わせで。

決め事があってもいいけれど

そこから逸れる、逸脱することが
エネルギーの本質として
埋め込まれて生まれてきた人も

この世には多数存在するわけで。

そういう人を「マイノリティ」と言って
マジョリティが、つまり多数派が
チカラを持ってきたことに

意義を感じもしますが
異議も唱える場所がないといけません。

マイノリティが本当のことを言えるのです。

マジョリティは本当のことを隠してしまう危険があるのです。

本当のことを一つ一つ考えて
積み上げていかないと

つまり、戦後とか戦前とか日本とか
いろいろ検証して

バブルとか平成とか検証して

平成とかゆとりとか検証して

その上に、本当のことを積み重ねていくのが
発展なのかもしれません。

「かもしれない」と書いたのは

真実はひとつじゃないからです。

マジョリティにも、隠すことにも
多分真実はあるはずなんですね。

そういったことも「視点を更に高くして」
自分も他者も社会も世界さえ見通せるような

そんな目を持って欲しいと思って
わたしは音楽を奏でています。

既成服に身を包むのでなく

防護服で自分のプライドや権威を守るのでなく

正直にしたいのに、実は腹にドスを持つのでなく

ちゃんと真っすぐに本当のことを積み上げていけるか。

本当のことって、人によって全部ちがうけど。
でもそれで良いんですよ。

誰かが悪者になる必要もない。

ひとりひとりが自分の道を感じ、考えて

それぞれに「自分の真実」ってやつを
重いけど抱えながら

前に一歩一歩進んでいければいい。

それが私が思う音楽の姿。

クラシック音楽の処方箋。

是非読んでみて下さい。

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