言葉少なに語るのは難しい。

今朝、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の演奏をかけながら

スタジオの整理なぞをして気が付いたのですが...

チャイコフスキーの音を聴くと、私たちはフッと心を動かされますね。

昔ストラヴィンスキーが「誰よりもロシア的」と言っていたチャイコフスキー。

メロディーを生み出す天才と言われる彼の作品のなかでも

このヴァイオリン協奏曲のメロディーラインはちょっと特別な気がします。

短調の暗い世界があっても、それが一瞬で深い味わいに変わる。

そんな抗しがたい魅力が彼の音には込められています。

そして聴く人を必ず希望に連れて行ってくれる。

彼の悲しげなメロディーには、そんな「ちから」があります。

また逆に、明るい旋律の中にはロシアの自然の厳しさや寒さを感じられて

そこからヒューマニスティックな、つまり人間の感情が生まれたりするのです。

音楽家としては、これは見逃してはいけない「音楽の作用」だと思いました。

ドイツ・オーストリアの音楽って全体の印象で聴かせるものなんですね。

旋律のなかに何かがあるように思って聴くと

あまり響いて来ないときがありませんか?

モーツァルトやベートーヴェン、ブラームスでも同じだと思います。

ひとつの旋律が幾重にも折り重なり、構造のなかで表現が出来上がるからなのでしょう。

でもチャイコフスキーは違います。

チャイコフスキーという作曲家が音楽史の中に存在しなかったなら?

きっとメロディーの中に「雰囲気」や「感情」を

私たちが見つけることはなかったのではないか?

そんな気がしたのです。

チャイコフスキーのメロディーは最初のワンフレーズだけで

何か「自分の知らない世界」、ロシア人たちにとっては「彼らの世界」へと

いざなってくれるような気がします。

だからハリウッドの音楽に多大な影響を与えることになり

それが後世の音楽の流れを決定づけることになったのではないか。

そんなことを考えていました。

音楽の雄弁な表現は、ベートーヴェンを筆頭に

後世の作曲家たちは彼を目指して生きてきました。

でもチャイコフスキーはある意味その枠を打ち破ったのですね。

画像の説明

先日書いたブログに素敵な方がコメントを下さいました。

「音楽家の役割について考えてみた」というブログへのコメントです。

”自分の文章じゃないのに、人が作った外国語の文章を日本語にして
読む人の心に何かを伝えること、が仕事の翻訳をしています。

一見、目に見える形の仕事ですが
実際には、目に見えないものを伝えるのが大事ですし、
そうできるようになりたい、と日々思っています。

私にとっての翻訳の原点は
トーベ・ヤンソンの作品を翻訳された
小野寺百合子さんです。
(「武官の妻」として、第二次世界大戦中に北欧で
戦争を止めようと懸命に生きられた小野寺さんご夫妻の日々が
昨年夏、TVドラマにもなりましたね…)

百合子さんの翻訳からは
登場人物の声が聞こえてきます。
描写される風景が鮮やかに浮かびあがり、
気がつくと、その中に入ってしまっています。
そして、言葉では表現しえない何かが
心を揺さぶるのです。

そんな翻訳の世界に
小学生の私は圧倒され、今に至ります。

音楽と共通するものが、あるような…。

鏡が曇らないように、心したいですね。”

これを書いて下さった畑中麻紀さんは私の幼馴染です。

幼い頃、ムーミンの国に魅せられて

その思いを自分の人生にして来られた方です。

多分そんな彼女の原点だとおっしゃる

小野寺百合子さんという方の書かれた言葉には

人の人生を動かすほどのパワーがあったのでしょうね。

言葉でも「全体」から何かを導く方と

一言で何かを伝えきる人と

色々なタイプが居るような気がします。

私は文章を書くのは嫌いじゃないですが

短い言葉で伝えるのは苦手かもしれません。

何だかそんなことを感じたので、覚書として書きました。

素敵な一日を!

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