コスモポリタンの勧め②「外国語は捨てろ!」

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From: 村中大祐

とんでもない!と思われるかもしれない。
「外国語は捨てろ!」などと言う人は居ないからだが、
外国人と同じ土俵に立ってものを見ることが可能かどうか、
ここ数十年いろいろな実験を繰り返してみて
ひとつ確信したことが、実はこの言葉だ。

以前「世界で活躍する指揮者のリーダーシップ論」でも
お話したが、日本人にとっては「日本語のレベル」こそが
大事であって、そのレベル如何で外国語の使い方が決まって来る。

私の経験では、外国語を満足に使える日本人に出会ったことは
実のところあまり例がないのだが、
その理由を常に検証し続けてみると、
日本人には大きく分けて以下の2パターンが多いように思う。

1.自分は英語ができると思っていて、発音もいい。実際に英語は使えるのだが、バックグランド(文化・教養)がその国の人間と違うので、アメリカ人やイギリス人と同じ土俵には立てない。
かと言って、日本語でも自分の表現したいことはあまりない。

2.言葉はほどほどに使える(日常会話程度)のだが、実際になにか深い話をしようとすると、言葉が見つからない。でも日本語なら何とか自分の感じたことをうまく表現できる。

これが多いパターンだと思っている。
1を目指しても、結果的には何も語れない。
2なら、日本語だけで充分で、1の人達を雇えば済むことだ。

自分の感性を磨き、自分という世界を深めれば
世界の人々は対等に付き合い始める。
そんなものだ。

だから外国語を一端捨ててみるとよい。
そうすれば見える世界も変わって来る。

まずは自分の言葉をもつこと。
これは重要なことだ。
同じ日本語でも、自分の言葉を持つ人と持たない人がいる。

自分の言葉さえあれば、世界と交信が始まる。
自分の言葉さえあれば、日本も世界になる。

だから「外国語は捨てろ!」なのだ。

横浜の自宅より   村中大祐

コスモポリタンの勧め①「辞書は捨てろ!」

私はこれまで、外国語を身に付けるために
途方に暮れた時期が何度もあった。

ではなぜ続けられたか?
それは「音楽」をやるために「絶対必要」だと思ったから。

カラヤンは見事なフランス語やイタリア語を話した。
むしろ英語やドイツ語は変なしゃべり方だったように思うが
ムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」を演奏するために
ロシア語も勉強し、まさに5か国語を操った天才指揮者だった。

尊敬するルービンシュタインというピアニストは、ポーランド系のユダヤ人だが、彼に憧れていた私は、彼がロシア語、ポーランド語、スペイン語、ポルトガル語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、英語、ヘブライ語と操る姿に完全に憧れを抱いていた。

私の知る限り、音楽家は7か国語くらいできる人間が殆どだから、
「できなければ音楽の世界ではやっていけない」という意識は
自分のなかに、はじめからハッキリあったと思う。

そう言うのは簡単。

だが、実際はそう上手くはいかなかった。

こちらは、日本人。
神社やお寺の文化に、カエルやクワガタと遊んで
泥だらけの和製音楽家だ。

「えらいこっちゃ…」

この言葉は英語と向き合ってから
以後延々と続くことになる。

中学高校の6年間、自分よりも英語が「できる」人に囲まれた経験。英語の成績は思わしくなかった。

でも、そんな中で、ただ一つ好きだったのは「音読」。

これはもう、日本語で「音読」が得意なのと同様、
別に音が変わるだけで、美しく流れるように
読むことを目指すのは一緒。
だから音読だけは、得意というより「好き」だった。

私の場合、外国で暮らす、という選択肢があったため
日本語をシャットアウトして、
まずドイツ語で生きる生活を選んだ。

その時の習得法がこれ。
音読が好きだ、という利点を活かしてみた。
そして煩わしい「辞書」というものを捨てた。
現場で辞書は引いている場合ではないからだ。
現場力は瞬間の判断がすべて。
それを高めるにはどうしたらよいか?
そう考えると、辞書は捨てるしかない。

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これはルービンシュタインの自伝の1ページ。
ここにいくつか線がひいてある。

この単語は当時分からなかった単語だが
これを辞書なしで何度も読む。

そのとき音読しながら「音やコンテクストから意味を想像する」という訓練をした。

これを繰り返すうちに、不思議と想像力のなかで意味が「うっすら」浮き上がってくるようになる。

これをやり続けると、理解できる部分と、理解できない部分に分かれる。この「理解できる部分」だけで判断するチカラを養うのだ。

多分学校教育でわたしたちが習うのは、このやり方ではないはず。
でも試してみると、時間はかかるけれども効果は絶大。

「想像力」と「現場力」がこれで鍛えられるわけ。

だから「辞書を捨てろ!」なのだ。

私はこの方法でできなかったドイツ語を習得した。
そしてこれはすべての外国語に通用するはず。
英語で10年以上も学校教育のなかでアルファベットに
慣れ親しんだ日本人には、おすすめ。

フランス給費留学生試験の顛末①

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最近事務所の整理をするため、昔の資料の取捨選択をせねばならず、その中に埋もれた書類に記憶を呼び起こしていたら、ウィーン時代の記憶や東京で外語に通っていた時代に、自分が何を考えていたか?を思いだす良い機会となった。
まずは推薦状。

先週大往生された佐々木成子先生は、私が母のお腹に居るときからのお付き合いだが、「指揮者になったらどう?バカじゃないからドイツ語勉強して、大学卒業したらウィーンでもドイツでも行ったらいいじゃない?」の一言。このアドヴァイスで東京外語だけでなく、指揮者になったと思う。

一年間作曲家の尾高惇忠師とドイツ歌曲の佐々木成子師に教わりながら、二年目にはウィーンでヨーゼフ・ディヒラー師に師事。ミニコンサートを聴いていたロシア人名教師イリエフ師が、「お前才能あるから、9月から私のクラスに来い。教えてやる」と言われたが、「俺はパリに行く」と断ったことで、ピアニストの道を絶ったことには気が付かず。(今ならわかるが、当時はわからなかった。)

でもピアニストになりたくて、本当にパリに行こうと決意。それでウィーンから帰国後、すぐにフランス給費留学生試験を受けてみた。本人必死である。

この試験。普通は内定者が先生によって決められているとか。そんなことは問題じゃないとばかりに、推薦状を尾高先生と佐々木先生にお願いしたが、佐々木先生曰く、「あなた馬鹿じゃないから、自分で推薦状書いて来てごらんなさい。それを私が手直しして出すから。」と仰る。尾高先生にその話をしたところ、「それはおばちゃま、うまいことを仰る。じゃあ俺もそうするから、お前書いてこい。」

さあ、大変だ。自分で推薦状を書くなんて。と思いきや、意外とこれが面白い。すらすらあることないことを書きながら、得意満面、両先生のところへ。そしたら出てきた推薦状がこれ。

「村中大祐さんは時折、彼の母親の伴奏者として私のところに来ます。
現在東京外国語大学に学ぶ傍ら、作曲家の尾高惇忠氏の下でピアノと和声を学んでいる彼が、所謂音楽大学の学生としての素養も研究も準備もなしに、今回の試験を受ける事自体、大変無謀なこととさえ思います。
しかし、むしろ日本での画一的とも思える音楽大学の経験をぬきに、はじめてパリで日本では得ることの出来ない、又ちがった方法と角度から専門的な教育を受ける事のの方が、彼にとっては誠に大切で意味のあることであり、又良い結果が得られるのではないかと敢えて給費生として推薦いたします。彼の演奏から、その観点をお聴きとりいただければ幸いです。 
1987年7月 
佐々木成子【名古屋音楽大学教授】」

今思えば、無謀なことをやったもんだ。
だが、佐々木先生の慧眼。
ドイツ語をやってから海外でというパターンもありだと思う。
少なくとも私の場合は、本当に自分に合った方法論だった。

佐々木成子先生。安らかに。
本当にありがとうございました。
もう一度佐々木先生には登場して頂こうと思うが、
今日はここまで。

春夏秋冬理論って知ってますか?

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おはようございます。
今日は5月15日。新しい一週間ですね。
ちょうど昨年の秋ごろでしょうか、春夏秋冬理論という
面白い本に出会いました。
その中で「人生には四季があり、それが12年ごとに繰り返す。」
とありましたので、そこから何か分かるかな?と思い、
自分の人生に起こった出来事を時系列で並べてみたんですね。

そうしたら、今年2017年は夏の終わりだったんですが、
自分がこれまでの人生で、無意識にこの夏の終わりで
所謂「切り替え」ってやつをやっているわけです。

今年も切り替えをしている真っ最中。
これまでの活動とは違う新たな地平を切り開くために
毎日奮闘中です。
と言ってもあまり皆様にはご覧いただけませんが。

この春夏秋冬理論、やってみると面白いですよ。
沢山本が出ていますが、高島亮さんの「運」をつかむ法則!と言う本(フォレスト出版)が私には一番分かりやすく、おすすめです。

そんなワケで今日も素敵な一日を!
横浜の自宅から
村中大祐

追伸:
今You Tubeでは、村中大祐指揮Orchester AfiAが2015年に演奏したベートーヴェン交響曲第7番を配信中です。
https://youtu.be/O1Y8CUg5TJU
↑こちらからどうぞ。
ストラヴィンスキーの先日お送りした「プルチネッラ」全曲、続きは↓こちらからどうぞ。
https://youtu.be/JCT9eKq4yoI

◇指揮者の外国語、ワンポイントアドバイス

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◇指揮者の外国語、ワンポイントアドバイス(不定期)
まず始めに言っておきます。

私は基本的に外国語が好きですが、結構苦手です。
ちなみに学校の成績は良くなかったです。

私は優等生というのが、性に合わないのでしょうがないのです。だから勉強というのは苦手です。

以下事実を書きますから、読まれる方はビックリしないでください。普通に誰でも私と同じようにやれば、「できるかも」しれません。私のやり方は、あくまで「ひとつの」方法論でしかありません。参考程度に書いておきますので、読みたい方は読んでみてください。

「愚図でせっかち」とはよく言ったもので、40年前に他界したオヤジの遺言のようなニックネームです。これが私なのです。非常に不器用で愚図ですが、結構感情の起伏が激しく、せっかちなのです。

そうなりますと、何かを熱心にやることはやりますが、集中はしても、長続きしない。同じことを機械的にすることはできても、短時間しかできません。

そんな中途半端な人間にも、「必要は発明の母」と言う感じで、言葉がどうしても必要なので努力しました。今ではある程度のレベルで英語、ドイツ語、イタリア語、フランス語、関西弁ができますから、全部で6か国語できる、と言いたいところですが、結構フランス語はしゃべれませんし、ドイツ語は忘れちゃいました。使ってないから、読んだり手紙は書きますが、喋るとき最近おかしいと思います。

でもまあ意外にやってみたら、人間できるもんです。

そもそも英語の成績はよくなかったわけです。

でも発音には注意を払い、まあまあの発音、すなわち相手が理解できる音「フォネティックPhonetic」は真似できるようになりました。そこは努力しました。

面白いのは、この音。人間、向き不向きがあるわけです。

ドイツ語は非常に関西人には苦手な言葉のような気がしますし、関西のイントネーションから感じるのは、イタリア語がラクなことでしょうか。

そう言う意味では私は東京外語でドイツ語やっといてよかったなー、と思います。
後からだと、絶対身に付かなかったでしょうから。

英語はイギリスで仕事を始めて使いながらできるようになってきています。でもまだまだ下手です。

但し他の国の言葉をつかえるし、基本言葉は「何を伝えるか?」であり、大事なのはスピリットなのです。

つまり私の場合、言葉を勉強はしますが、どちらかと言えば使いながら覚えていくタイプです。

イタリア語が性格に一番合っているみたいです。

こう書いていくと以下の分析が可能になります。

1.外国語とは勉強するものではないんじゃないか?

2.音に習熟することは大切だ。

3.向き不向きがある。

4.音やイントネーションで、向き不向きがわかる。

5.努力して得られるものは大きい。つまり努力が常に必要。さもないと忘れてしまう。ブラシュアップは必要。

6.基本言葉とは「何を伝えるか」だ。手段でしかない。

7.使えばできるようにはなる。

8.自分はどんなタイプだろうか、を知ることは早道だ。

9.他の言語に習熟すれば、応用が効くようだ。(これは同室の言語のみに言えるはずなのですが、外国人と接する度胸や愛嬌みたいなものは、どんな言語でも共通ですな。)

10.大事なのは文化やスピリットを表現することであって、本質が命。言葉はあくまで手段。

こんなところかもしれません。

ではここから少しずつ今後書いていきましょうかね。

それでは良き休日を!

横浜の自宅から            
村中大祐