――逆に多くの日本人にとっては、目の前にいる人間との関係性の方が、本質論よりもはるかに重要に感じられる……。

村中 だから本質を忘れて、枝葉である表面的な技術ばかりに力を入れてしまいがちになるのです。この、非本質的な部分を磨くことばかりを重んじる傾向が、職人性が尊重される世界でもときどき見受けられます。

私の経験では、たとえば一部のお寿司屋さんで、客と店の間にそんな雰囲気を感じたことがありました。今も同じようなところはあるでしょうが、特に昔は、慣れない人間が寿司屋に行くと、何からどう頼んでよいかわからないものでした。メニューや値段の表示がない店では、「通」の人間でないと入れないような雰囲気があったと思います。

私も昔、「寿司屋に入ってまずはコハダを頼むのが通である」などという話をどこかで読んで、緊張しつつも、自分でもまずはコハダを頼んだりしたものです。それで、ひょっとして自分も通になる道の入口くらいには立ったのかな、なんて思っていました(笑)。その一方で、見るからに寿司屋に通い慣れていそうな、いかにも通という感じの客の様子を見て、ちょっとうらやましくなったり……。

でも考えてみれば、寿司屋でいちばん大切なのは、寿司の「味」、寿司をおいしく味わうことです。職人さんの側も、なるべく「味」の良い寿司を客に供することが最重要なはず。客が通かどうかなど、はっきり言ってどうでもよい話です。だいたい、いくら寿司職人の腕が良くても、客を緊張させれば味覚にも影響して、おいしく食べてもらうことはできなくなるでしょう。

「寿司屋に行く本当の意味」を考えたとき、店にとっては「おいしい味を伝えること」、客にとっては「おいしい味を受け止めること」であるはずです。その本質があって初めて、職人さんと客との会話やコミュニケーションや店の内装、美しい食器などが、味をより良くするための意味あるものになってきます。通ぶった振る舞いや、寿司屋独特の符丁のやり取りだけでは意味はありません。

――どうして本質を伝えることが忘れられてしまうのでしょうか?

村中 最近はあまり言われなくなりましたが、高度成長期の日本人は「モノマネが先行してオリジナリティに欠ける」などと批判されていました。今でこそ「クール・ジャパン」という言葉が生まれ、最近は日本の独自性が海外でも評価されて自信に溢れていますが、実はかなり長い間、世界の日本に対するイメージは「オリジナリティの足りないモノマネ大国」だったようです。

それには、先にも述べましたが、一面で日本人の長所でもある「相手へのおもてなし」の重視が関係していると思います。「おもてなし」を重んじるあまり、本来考えるべき「本質論」を「おもてなし」にすり替えてしまう傾向がある。その結果、音楽のような表現活動でも、演奏するときに一番大切な「俯瞰的視点」を失ってしまう罠に陥りやすいのです。

日本人は西洋音楽を演奏するときも、ともすれば自分と相手との関係性だけに意識が向いてしまうのです。演奏する自分と、演奏を受け止める側の聴衆。この二者の関係性だけを考えて技を磨いてしまう。すると、「何のために音楽をやっているのか」がわからなくなります。

もちろん、技術を磨いて美しい音楽を間違いなく演奏できるのは結構なことです。しかし、その上に、自分が音楽の中に発見したメッセージや、独自の美学、世界観をしっかり盛り込んでいかない限り、いくら演奏技術が巧みでも、音楽は決して生きたものになりません。

その問題を解決するには「天から見つめる視点」、つまり、俯瞰的に物事を捉える視点が必要になります。自分と他者の関係性を超えるのです。それによって、音楽表現に絶対に欠かせない「世界観」が抜け落ちてしまうのを防ぐことができます。(to be continued)

「横浜に新しいオーケストラを作る」と私が言ったとき、彼らは笑った。でも、私が世界のクラシック音楽の祭典で 「イノヴェーション・アワード」にノミネートされると…

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