今日はシューマンの音楽の世界への準備をしてみましょう。

シューマンという人は「文学と音楽」を結び付けた人と言われています。

まあ確かに彼の作品を見ると「文学的」に見える場合もあります。

本当にそうであるかどうかは、彼の音から感じ取るしかありませんし、

必ずしも「文学的」に聴く必要は無いのかもしれません。

音の中に見えてくるものは、人それぞれだからです。

音楽の歴史を紐解いてみると、

人間の音楽との関わりは

ゆっくりと視点を変えながら変化して来たことが分かります。

「神様を讃美する」ため教会で使われる音楽が

「神から人」へとその視点が移行するに従って

「神様~」と天を仰いで祈りながら歌う人が

「俺ってすげー」まではいきませんが

「俺の眼で見た世界ってすげー」

と言いながら、自分の周辺に存在する世界を

音楽で表現するところまで

その意識が発展したのです。

意識の変化は人間の歴史、そして音楽の歴史として

作曲家の作品の中に反映されて来ました。

私達がよく耳にする音楽、

つまり18世紀から19世紀の時代には

「俺がこの眼で見た世界」と言っても

そこにはお城とその周辺の森や田園風景くらいしかありませんでした。

「神様〜」と祈りながら歌うときにおこる奇跡は

バッハの時代、数秘の中に表現されていましたが、

それが「自分の眼から見た森羅万象」の神秘を表現する時代、

すなわち風がそよいだり、光が射し込んだり、雲が移りゆくといった

「自然の摂理」を表現するようになり、

ベートーヴェン以降の音楽の中には

そう言った情景が聴こえてくるようになるわけです。

つまり「神の世界」から「人間の視点で見た自然の森羅万象」へと

その視点が移行するのが、

クラシック音楽のバロックからロマンティックへと移行する変化、

音楽のスタイルの変化であり、時代の意識の変化なのです。

また、フランス革命の「自由、平等、博愛」の精神は

それまで長い間支配的だった社会的なヒエラルキー、

つまり「神から選ばれた人」と「普通の人」のような

階級意識を一種暴力的に破壊して、

それが一般大衆の意識変革に繋がります。

「自分の中に神を見出す」思想が生まれ、自分自身と向き合うなかで、

次第に「自分の持つ感情」を客観視しながら

それを音楽表現の中に取り入れる、という作業も

ロマンティックという時代の産物です。

つまり「自然を表現」し、「自分を表現」する時代。

そんな自由が表現者に訪れたわけです。

今日はここまで。

明日はシューマンについてもう少しお話します。

横浜の自宅より

村中大祐