プッチーニ「マノン・レスコー」より第2幕の抜粋。
テアトロ・マッシモ1999年の舞台。

練習なしのぶっつけ本番の懐かしい映像です。
この公演は大成功に終わり、イタリアの新聞が「プッチーニが望むような演奏だった」と当時絶賛してくれました。

このことがきっかけで東京の初台の新国立劇場に招聘され、日本でのモーツァルトの「魔笛」でのデビューとなりました。

ジュゼッペ・シノポリ氏がローマに来られて、ローマ大学で考古学の博士号を取得するため、ついでに歌劇場の芸術監督になり、劇場を総入れ替えしたことから、文化庁から派遣されていた当時の私は、研修中のローマ歌劇場から理由なく追い出されたわけです。当時現地の高名な作曲家フランチェスコ・ペンニージなどがシノポリ氏を知っていたため、日本から送られた若い人材を締め出すのはやめたほうがよいのでは?という直筆の手紙を書いてくれたのですが、それも(in vano)ダメでした。

なんと!そこで奇跡が起きるのです。以前「こうもり」で仕事をしたことのあるパレルモに打診すると、当時の首席指揮者が私の評判を楽員から聞いて、「ヴォツェック」のアシスタントに起用してくれたのでした。

その彼がダブルブッキングで最終日のマノンの公演を指揮できず、このチャンスが天から降ってきた、というのは、非常に不思議なことです。しかもこの「マノン」、後でわかったことですが、東京の新国立劇場との共同制作だったのですね。

でも経験のある方ならお分かりのように、人生は何かを手放すと、新たに何かを与えるのがその節理のようです。こういった不思議をこれまでに何度も体験しました。
人生の不思議を感じます。