自然と音楽、語感と響き

自分が変わるために、これまでいろいろな場所に降り立ちました。

人が話す言葉よりも、意外に街や自然、建物から影響を感じ、それらが自分の中に沈殿して行くと、その街から去るのです。

しばらくすると、沈殿した部分が浮き上がり、話しかけて来ます。

それを体験として位置付けて来たように思います。

デカルトの研究者でオルガニストだった森有正さんが中公新書に書かれた本(タイトルは忘れました)を、18歳くらいの時に読んで、確か「経験」についての場所を当時は「えらくむずかしい内容だな」と思いましたが、実際には同じようなプロセスが、私の中にもあったように思います。

ローマではカラヴァッジォやコレッリが、ヴェネツィアにはヴィヴァルディやティエポロが、私の心には響いた訳ですが、英国に初めて招かれたとき、最初から自然の中、羊や牛の群れに囲まれて生活したため、英国の風景や空気感は、直ぐに音楽と結び付きました。

これはある意味オーストリアのウィーンでも感じた感覚と近いものがありましたが、ウィーンの街にはシューベルトやマーラー、ブルックナー、ベルクの音楽とオーバーラップし、英国はブリテンやエルガーより、メンデルスゾーン、シベリウス、そしてラフマニノフを近く感じました。

やがてロンドンで仕事を始めるようになって、街から与えられた印象はありますが、最初の自然からの印象が遥かに強いように思います。

英国で最初に指揮した作品がモーツァルトのドン・ジョヴァンニだったのですが、モーツァルトは私がいつも申し上げているように、音楽に自然が入り込む前の時代の代表。イタリア語の中にある語感とオーケストラ(当時はロンドン・フィル)の響きが不釣り合いに感じました。ドラマ性が響きに足りない。イギリス室内管弦楽団とはB・ブリテンのアニバーサリーをロンドンでやりましたが、ランボーの詩による「Les Illminations」を演ると、やはり血が関係するのでしょうか、ホントにフランス語感がしっくり来る訳です。ご存知でしょうけれど、英国はフランスとは血を血で洗うように戦さを繰り返した訳で、つまり混ざりあった歴史がある訳です。

先日久しぶりにイタリアの歌劇場でオペラの真似事を演りましたが、やはり椿姫の音と語感がしっくり来ますね。

やはり英国でホルストを指揮すると、彼らの音が魔術のように教会に響き渡りました。もちろんPrince of Walesの存在があることも大きな要因でしたが、コッツウォールズにほど近いMalmesburyという場所は、ローマの遺跡以外にも、スピリチュアリズムを感じる空気感がありました。ホルストが占星術に傾倒して、彼の地で交響曲を書いたと知った時、宇宙からのメッセージを受け取った気分になったのです。

ね、音楽って、こうやって感じることができれば、面白いでしょ?

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