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From:村中大祐

オーストリアの首都ウィーンには
今はどうか知らないが、昔から
Wien Mitte(中央駅)やSued Bahnhof(南駅)、
そしてWest Bahnhof(西駅)があって

私が住んでいた場所は16区のBrunnen Marktのすぐ傍、
Grundstein(礎石)通りだったから
西駅が一番近かった。

この西駅のほど近いところに
Happy Buddha(ハッピー・ブッダ)という
中華料理屋さんがあって、
そこによく通っていた記憶がある。

給仕たちは、皆いわゆる華僑の人たちだったが
ドイツ語で会話がある程度できたため
私たち日本人とは英語かドイツ語で会話していた。

中にはかなりドイツ語が達者な人もいて
人懐っこくいろいろと尋ねてくる。
「お前はどこから来たか?」
「ここで勉強している学生か?」
なんて会話が必ず始まった。

でも私は当時それをあまり嬉しくは思わなかった。
お金を払って来る客に
顔見知りになるまえから
いきなりドイツ語でDu(お前)と使う彼らに
正直私は驚いたからだ。

ここから一歩外にでれば
ウィーンの人たちは必ず
Sie(敬称のズィー)で話しかけてくる。

このフォーマルな敬称というやつは
自分と相手との距離を必要以上に縮めることなく
ある程度の距離感をとって
身を守る方法なのだと思う。

それを東洋人の兄弟たちは
皆一気に縮めようとするのが
私の気に障った時が多かったように記憶する。

今自戒するなら、私は当時ウィーンの社会の中で
ウィーンの人たちから「私自身が」距離を取られてきた、
ということだと思う。

それは私が日本人でもなく中国でもなく韓国でもなく、
ウィーン人にとって単なる東洋人だからであり、
彼ら中国系の人たちは、逆にアジア人のなかで
分け隔てなく付き合いたかったからこそ
日本から来た客に対しても
仲間意識で敬称でなく略称で話しかけてきたのだと思う。

まあ、何が言いたいのか、と言えば
外国で暮らすと
日本人の中だけで暮らすことを捨ててしまえば
必ずと言っていいほど、こうした
人種の違いや社会の壁とぶつかるものだ。

現地の社会に実は受け入れられないため
多くの企業人・組織人は、海外に居ても
日本人の社会の中で暮らす。
それも選択の一つだと思う。

私にしても、現地の中に入って
言葉を学んで本気で現地の人間と交流しようと
努力はしてみたものの
あがけばあがくほど
彼らは受け入れてくれなかったように思う。

自然体で受け入れてもらえるようになったのは
イタリアに行ってからのことだ。

そんな孤立感のなかで当時感じたのは
日本人であるが故に
東洋人という大きな括りで
自分たちを見ることができないのもまた
ある意味残念な話だということ。

20代前半の私がそう言った意識を
当時持っていたことを考えると
教育ってやつは、とても大事だと思う。

日本人が思っているよりも
中国や韓国の人たちは日本人を
同胞や兄弟のように見ていると思う。

そういう意識が西洋人から「受け入れられない」社会の中で
いやが上にも湧き起ってくる。

今まで長い間、日本人の社会の特殊性について
「なぜだろう?」と思ってきたのだけれど
ある一つの結論にたどり着いたような気がする。

私は昭和の時代に生まれ、
その間割合い長い期間
日本にヒューマニズムを感じていた。

だからイタリアの街を仕事で訪れるようになって
イタリアと自分の知る日本が
酷似している部分を見た気がした。

そういう「日本人」の姿、
ヒューマンな日本人のかたちは
おそらくバブルをもって泡と消えたように思う。

国内の世情も、国際情勢も変化するなかで
島国の意識や教育自体が
すごく変化してきた。

たぶん田中角栄が日中国交正常化をした
あの頃の日本人には
ヒューマニズムがあって
世界の中で「東洋人」という括り方を
大切にできたようにも思う。

だが、今のわたしたちに
その感覚が欠如しているのではないか。

書いてみて、改めてそんな気がしてきた。
たぶんヨーロッパがユーロ圏で守ろうとしているものって
こういうヒューマニズムのコアな部分であるように思う。

だから今アメリカやイギリスといった
アングロ・サクソン系の白人たちが
「自分たちは違う!」と言いたいのは
おそらく弱さの裏返し。

彼らはおそらく弱ってきたのだと思う。
多民族を受け入れる強さがなくなってきた。

それは経済の話じゃないんだ。

ある時期、東洋を取り込んだために
【カオス】Chaosの文化的爛熟期が生まれた。
それは19世紀末のパリなどに代表される。

有名な1870年代パリやウィーンの万国博。
ジャポニズムなどが生まれたあの時期。
ロシア・バレエ団がパリでディアギレフの下
大活躍し、音楽や舞台の革命が起きた。

アフリカの仮面からピカソのキュービズムが生まれ
そこからダダイズムやシュールレアリズムが出来上がった。

でもその間にあったのは世界的な混乱と混沌。
社会の意識が乱れて
The age of Anxietyが生まれた。

今の私たちの生活は「つながる」生活。
そこから離れたい人たちは
「つながれない不安」から
SNSを手離せない。

世界全体が連動して動き出そうとする中で
「あの頃に戻りたい」感覚がある。

「どの頃に戻りたいのか?」
自分でもわからないのだと思う。
Quo Vadis
それを探すために
いったん国を閉じたいのかもしれない。

今日も素敵な一日となりますように!
ヨコハマの自宅から
村中大祐