メディアと勝負師:「美学」について

From:村中大祐

http://www.huffingtonpost.jp/2017/06/20/hifumi-kato-legend_n_17218268.html

将棋の御大、加藤一二三さん引退。
一二三さんには美学がある。
勝負師としての見事な美学。

負けても勝った人を讃える人だし。
ちゃんと若い世代をリードしてくれた。
こう言う方のお蔭で若い世代のスターが生まれ、
彼らに憧れる人が出て来て将棋界のブームに繋がる。

潔さだよね。やっぱり。
それは清涼感のある生き方。
命懸けの勝負。

日本人に求められる美学って
やっぱりそう言う感じだと
私は思いたい。

今日本って、美学もへったくれもない。
そんなもんで、飯食えない!って

みんなが思っているのが
本当によくわかる。

これはやっぱり、まずい。

今メディアに報道されている中心的な記事を見ると、
内容がどれも酷くて、真っ直ぐに凝視出来ない。
人の醜い側面ばかりを選ぶから。

類は友を呼ぶ。
ここは事実を書く場合でも
選択の余地があると思う。

つまり会社の方針ではなく
「自分」の立ち位置だ。
会社ではなく、
「自分」の尊厳を
書く人間が守っているか?

書く人間の記事によっては
言い訳が見えたりする。
「自分は書きたくないけど
会社の方針が。。。」

そこはもう、命がけなんだと思う。
勝負してるかどうか。

やはり記事を書いている方の選択によって、
光の当て方も変わると思う。

記者さんも、それはそれで命懸けなんだと思う。
自分の書いた記事の影響を考えたら、
本来命懸けにならざるを得ない。

だから思うんだけれど
今出回っている記事を読んでいると、
こちらの生きるエネルギーを奪われている気がする。
エネルギー・ヴァンパイアー。
そんなくだらない仕事をしていて
本人だって平気なわけないと思う。

そう言う意味では、
今はメディアの方に「美学」が求められる。

昔は騎士道精神とか、武士道とかいうのがあって、
「我は奥茨城のなんとか村のナニガシであーる。
いざショーブ!」
なんてね。

必ず自分の名前だけじゃなく、
自分のいわゆる「立ち位置」ってヤツを示すの。

それがいつもどこかにすっ飛んだまま。
マスコミにいる人、これ大事。
自分がどこに居て、何を書いているのか。

そういうメッセージを書いている?
行間からわかれ!
って言われてもわかんないよ!

もっと私たちに活力を与える記事を
毎日量産してもらいたい。
生きるチカラを与えるメディアになって下さいね。

頼みますよ!マスコミの方たち!

ヨコハマの自宅から

村中大祐

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