指揮者の交渉術③「コンクールで人生決まる?」

From:村中大祐

自分の価値や値打ちは自分で決める。

そういう立場の人なら分かるお話なのですが

世の中、そんなにうまくはいかないのが常ですね。

大抵は自分の価値を人に評価されて
そこから始まるのが普通だと思います。

日本人の音楽家は昨今
世界中のコンクールで当たり前のように
賞を取っています。

そのくらい素晴らしい音楽大国になりました。
でもその中のシステムは

旧態以前とした感がぬぐえません。
決まったカタチがあるのだから
そこから利益を得ている人達がいて
なかなか「特区」に風穴を開けるわけにもいかない。

それはどこも同じこと。

新しい価値は、誰かが生み出さなければ
いつまでも同じことの繰り返しが続くのですね。

コンクールについて
交渉という観点から
書いてみました。

是非こちら↓から読んでみて下さい。

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From:村中大祐

コンクールで優勝することが必須の世界。
それがクラシック音楽ということになっている。

だから皆がプロフィールにコンクール入賞歴を書く。

この間びっくりしたのは
世界のもはや5本の指に入ろうかという
素晴らしいピアニストの内田光子さん。

彼女は本当にベートーヴェンとモーツァルトが
素晴らしいと思って尊敬するピアニストのひとりだ。

彼女がウィーン・フィルとミヒャエル・ギーレンの指揮で
ベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番を
ザルツブルクの精霊降誕祭か何かのフェスティヴァルで
演奏されているのをラジオで聴いて以来
ファンになった。素晴らしかった。

今私が一緒にロンドンで演奏する
イギリス室内管弦楽団で
ジェフリー・テイトという英国人指揮者と
モーツァルトのピアノ協奏曲チクルスをやって
世の中に出てきた人だ。

おまけにウィーンで育ち、ロンドン在住というわけだ。
だから不思議なご縁も感じている。

彼女は過去にショパン・コンクールに
第二位となっている。
それは確かにスゴイことだが
いまだに彼女の紹介で
日本ではそのことを持ち出す人がいる。

海外ではこんなことは書かない。
コンクール歴なんて書いても意味がないのだ。

日本のこの体質はかなり時代錯誤的だ。

コンクールというのは
あくまでも入り口だということを
おそらく知らないのだろう。

もっと言うなら
例えば東京大学に入学して
人生はこれで決まったと思っているのと
まったく同じことなのだ。

実はこういう考え方、感じ方が
昭和の時代には一般的だったが

今ではこういった受験神話のようなものは
むしろ崩れ去った感が強い。

世界の音楽シーンでコンクールを持ち出すことは
実はほとんどない。
キャリアのない人間が、
他に書くこともなく
やむを得ず出すのが
実はコンクール歴なのだ。

だから内田光子さんのような
世界で認められた偉大なピアニストを
コンクール歴で紹介するのは
もうやめた方がいい。

失礼千万だ。

チラシや宣伝に
コンクールの優勝歴が書いてあるピアニストや
指揮者は五万といる。
だが実際にその後で仕事に繋がるパターンは
殆どといってないのが実際のところ。

私のようにマネージャーが当時居なかったため
自分でコンクールから仕事に結びつける際
必要になるのは、何といっても交渉術。

ノウハウなどない。
相手に連絡を取り
こちらから自己紹介をする。

電話かfax、今ならメール。
手紙と言う手もあるが
あまりお勧めしない。

日本では手書きのお手紙は
とても喜ばれるのは知っているが
外国人は時短が全てだと思っている。

だからすぐに話を終わらせたい。
そうなると電話かメールが一番なのだ。

自分の名前とプロフィール
どこの国籍かを伝えて話が始まる。

国籍が違えば、労働ヴィザが必要になり
その手続きに時間をとられる。

「××コンクールで賞を取ったので
コンサートができると聞いたが、その証明書はこれだ。
あなたの団体の芸術監督がが審査員だった。
だから一緒に演奏会をできると信じている。」

そんなことを伝えるわけだ。

これは最初に権利を与えられている。
証明書もある。
芸術監督の言質もとってある。

だからそんなに難しくはない。

だが、問題はその後だ。
演奏会が成功したとしても
マネージャーが居ないなら
そこで自分で次の交渉をしなければならない。

少し話はそれるが、私たちアーティストには値段がある。
一晩の公演でいくらいくら、というのがあって
これは国によって違うが

私の場合、コンクールに優勝時の値段を最初の
基準に考えて
世界の基準と見比べながら
「自分で」値段を決め
相手と交渉してきた。

そこにも交渉がともなうわけだから
やはり相手の国の経済状況や
基本的な考え方のようなものは
知っているに越したことはない。

因みに日本の指揮者の金額は
その殆どが既に日本のマネージメント業界によって
決定されているため
すでにコンサートのなかに
指揮者の予算が組み込まれていて
交渉の余地などないのが普通だ。

そう言う意味では安心、安全な国だ。
コンクールに優勝すると
それなりの評価を受けやすいというのも
この安心、安全なプロセスに
組み込まれているからなのだろう。

だがある意味では交渉を学ぶことが
非常に困難な土壌だということでもある。

自分がその枠から外に出て
自分で荒波に打ち出すなら
自分の「値打ち」も変わって来る。

アーティストとは飼い犬にもなれるが
もし何か新しい価値観を打ち出す気さえあれば
自分の値段も値打ちも変えることができる。

そんな時必要なのが
交渉術だと言っていいと思う。

ヨーロッパが全て良いとは思わないが
交渉する、という土壌が
社会のなかに組み込まれていて

相手と向き合うことができることは
ある意味幸せなことのような気がする。

その中で自分が鍛えられ
日々育つことができるのだから。

素敵な一日を!
横浜の自宅から
村中大祐

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