指揮者の交渉術⑤-2「二者択一の果て」

From:村中大祐

夏というのは音楽祭の季節。
今までに夏の音楽祭というのは
イタリアとイギリスで経験がありますが

いずれも紳士の国なんですね。

イタリアはGentiluomo(ジェンティルウオーモ)
イギリスではGentleman(ジェントルマン)

いずれも直訳では「優しい男」で共通ですが
オペラを指揮してみると

両国の違いは面白いくらいハッキリわかってきます。

イタリアではドラマ性が求められるので
音楽は非常に緊張感に溢れており
溢れる感情の起伏が
ひとつの音楽表現として定着しています。
オペラの国イタリアのドラマ性は
その言葉や身体表現からも分かるとおりですね。

イギリスは非常に柔らかい場所です。
柔らかい場所、柔らかい音。
それが幾重にも折り重なって
何かを伝えようとします。
でもすぐには伝わらないことも
文化伝統なのです。
直截な表現を避ける。

同じ「紳士」の国でも
表現の仕方が違う。

日本人の私が両国でオペラを指揮して
感じたことが少しずつ
お伝えできれば良いのですが。

こちらからお読みください。

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From:村中大祐

オペラとコンサートからの二者択一。
マネージャーのマイケルから
「どちらを選ぶの?」と訊かれた際に
答えたのは「両方」だった。

思い返すと私のキャリアは
イタリアのトレヴィーゾ歌劇場から始まっている。
そこで最初に優勝したコンクールは
オペラのコンクール。
だからと言ってオペラだけを審査されたのではなかった。

舞台の上でピアノを弾きながら歌う
いわばドイツの歌劇場の試験のようなものもある。
当時はビゼーの「カルメン」の
難しいフランス語の五重唱を弾きながら歌わされたが
もちろんオペラ全曲が課題なので
何が来るかはわからなかった。

他にプッチーニの「ボエーム」も歌ったような気がする。
ピアノを弾きながら、全てのパートを歌うわけだ。
なかなか手ごわい課題だ。

そこから次のステージはオーケストラの指揮。
確かカルメンのほかには
ベートーヴェンの交響曲第7番を指揮したように思う。

そんなコンクールに優勝すると
最初のデビューは
近隣の小さな教会で行われた
アーゾロというドイツ人が好む避暑地での
音楽祭への出演だった。

そこで近現代のF・マルタンやストラヴィンスキーを
指揮してデビューした。
その後カルメンのアシスタントとして
審査員のペーター・マークの副指揮者を務めることになる。

この時期、ガゼッティーノという地方紙の記者から
よくインタビューされた。
そして彼とは仲良くなり、食事を共にするようになると
ある日、彼がこうつぶやいた。

「ダイ、お前やっぱりオペラよりコンサートだな」

必死になってオペラのレパートリーを広げている時期だし
この言葉は結構胸に響いた。

外から見ると、私の指揮者としての強みは
コンサートなのか。

人間というものは自分で掴んだ真実でない限り
それを自分の人生に適用しようとはしないものだ。

人から言われたことは
却って抵抗が生まれたりする。

そのジャーナリストの言葉に反して
私はそれから多くの歌劇場でオペラと向き合うことになった。

マネージャーのマイケルは
その後わたしに英国のオペラシーンへの
道筋をつけてくれた。

それがグラインドボーン音楽祭だった。
サイモン・ラットルもここでスタッフとして
働いた場所だ。
私はアジア人として音楽祭史上最初の音楽家として
このオペラの殿堂に招待された。

ここでは音楽スタッフとして招待されたのだが
公演当日に指揮者が失神してしまい
私にお株が回って来たのには驚いた。

オーケストラはロンドン・フィルだったが
もう既にこういった「事件」には慣れっこで
急場で全力を尽くし、「自分流」で音楽を瞬時に
自分の世界に持ってくることには
ある意味全く抵抗がなくなっていた。

公演は大成功だった。
ある意味音楽的な成功と言える瞬間だった。

BBCやタイムズ、イヴニング・スタンダードなど
殆どのメディアがこの「事件」を報じることで
私は一躍注目を受けるようになった。

だがそこでも面白いことが起こっていた。
タイムズ紙の記者からのインタビュー
私のモーツァルトのテンポが「伝統的」なもので
当初予定されていた所謂流行の「古楽器的」テンポよりは
遅いのではないか?という指摘がなされたのだ。

私はドラマ性と歌手の息を重要視して
即興で舞台を組み立てたが
それがイギリスという場では
逆の作用をもたらした。

急場を凌ぐ役割としては
大成功だったし、
音楽的な成功はオーケストラも
聴衆も、そして歌手たちも認めていたが
マスコミは「現代のスタイル」を要求していた。

伝統的な「劇場型」の解釈は却下されたようなものだった。

マネージャーたちは
私のオペラに対する捉え方を
「伝統的な劇場指揮者」とする見方に終始し
それがどんなに音楽的な解釈であっても
「新しい風」を吹かさなければ
良しとはしなかった。

つまり2002年のモーツァルトの殿堂での
「ドン・ジョヴァンニ」の公演は、
私に大きなチャンスをもたらしはしたが
私が本当の意味で
自分の欲しかったものを得たか?という問いには
「Non」という答えしか導きだせなかった。

現地のマスコミや日本のマスコミの報道とは裏腹に
私のこの体験はどちらかと言えば
自信を喪失しかねない
大きな出来事となっていった。

もちろん、それから4年後に
ロンドンでのコンサートが待っているとは
その時の私には想像さえできなかった。

他人の評価の恐ろしさ。
だが他人の評価が自分というものを
作って行く部分も大きい。

当時の私にはまだ
イタリア人ジャーナリストの
言いたかった本当の意味はわからなかったのである。

今日も素敵な一日を!
横浜の自宅から
村中大祐

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