指揮者になる法①「忍法同化の術!」

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From:村中大祐

日本人の世界での活躍は目覚ましいものがありますね。
今回もロンドンでの世界陸上では
400メートルリレーでの3位という素晴らしい結果となりました。

日本人の強みを考えてみると
やはりバトンパスの正確さと
チームワークの肌理の細かさによって
0.1秒を争う試合を制するわけです。

実際に足が速いと言うよりも
チームワークに強みを見出しているところは
見事だと思いました。

トヨタの工場管理のノウハウを
世界中が取り入れていることも
同じような印象を与えます。

指揮者になると言うことは
実は日本人の感覚では
集団に属すると言う感覚なのです。

私は日本に帰ってみて、それをすごく感じました。
ひょっとしたら、この方法論にも
強みがあるのかもしれません。

でもこの日本の集団帰属意識のような
指揮者の在り方は
これまでのヨーロッパの指揮者の在り方とは
一線を画する方法論です。

それを「意識して」できるか?
あるいは「無意識に」やらされているか?

私はまだ後者のように思います。
個人と集団の関係性においては
指揮者の世界はまだまだ「個人」であって
集団の一部ではないように思います。

あなたならどう言う指揮者になりたいですか?
集団依存型?
集団拮抗型?

それとも?
私流の指揮者になる法をご紹介して参ります。

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指揮者の仕事には多々あるように思う。
だが私はあくまでも自分の範囲に話をフォーカスして
ここで語ってみたいと思う。

私にはかつて偉大なメンターがいた。
今のメンターはどちらかと言えば
別分野のメンターたちだ。
音楽家ではない。

かつてのメンターは二人。
いずれも世界のトップ指揮者だった。

最初に彼らに出会うまでの5年間
私はウィーンに居た。
そこが世界最高の場所だと思ったからだ。

「世界最高の場所に行け」

世界最高と思われる機関や人間から
何かを学ぶべきだ、と私は思っている。
そうしないと時間がもったいない。

ウィーンは確かに優れた環境だった。
オペラを毎晩違う演目で演奏し、
コンサートのホールはいくつもある。

そこでは自分よりはるかに優秀な指揮者たちが
凌ぎを削っていた。

それは大きな刺激だったが
彼らと競い合うのはあまり有益だとは思わなかった。

正直に一つだけ思っていたことは
「何かが違う」という感覚だった。

「自分が求めているものとは微妙に違う」

私はこの感覚を大事にしながらも
彼らの世界観のなかで音楽をした。

とにかくがむしゃらに自分を捨てて
彼らの世界観を体得しようと試みた。

世界のコンクールのなかで
嬉しい優勝を2回、悔しい優勝逃しは3回、
セミファイナルには4回くらい進んだと思う。
これを振り返るのは初めてのことだが
考えてみたら、よくもまあ、こんなに受けたものだ。

ある時は国際コンクール優勝者だけが
集められたコンクールにも招待されたことがあった。
その時の審査員は確かサー・ネヴィル・マリナーだった。

実に私が外語大を卒業してから
ウィーンで音楽を本格的に始めて
まだ5~6年目のことだ。

私に才能があったかどうか?
そんなことは知らない。
兎も角、後がないわけだ。
だから死にもの狂いでやった。

世界中の指揮者が集まるなかで
なぜここまで成果を挙げられたか?
それは全くの白紙の状態だったからだ。

全くの白紙、と言っても
自分の考えはハッキリしていた。
中学生の頃からホロヴィッツの響きを
どうやってピアノで実現するか考えて
「音をずらす法」を何とか身に付けていた。

この「音をずらす」技術を本当の意味で
自由に表現できるようになったのは
ウィーンに留学して3年目くらいだろうか。
まだ日本でリサイタルをしていたころは
そこまでできなかった。

オペラや交響曲をピアノで弾き
ウィーンでは歌曲のリサイタルにも
ピアニストとして出演していた。

そう言ったことが音をずらす技術を
更に磨かせたのだろうと思う。

だがこの考えはコンクールでは禁物だった。
だから指揮に関して真っ新な私は
「自分を捨てて」
別の世界と同化してみせた。

これがassimilationアッシミレーション
「同化の術」。
まるで忍術だが、これが大切だと思う。

それは意外に簡単で、人の倍努力すればいい。
自分をなくし、人の価値観で
まずはやってみる。

私は殆どが独学だったし
日本で師事した師匠たちは
いずれも海外が長くて、ありがたいことに
私に枠を与えることをしなかった。

だから私は自分自身をそのまま
ウィーンへと持っていくことができた。
誰の借り物でもない
自分自身の音楽を。

コンクールで優勝した後
私はこれまでの「コンクール的な」やり方では
恐らく世の中を渡ってはいけないと
自覚していた。

私は偶然コンクールの審査員長と
一緒に仕事をする機会が与えられたが
その素晴らしさに驚愕した。

ウィーンでは聴いたこともないような
素晴らしいモーツァルトの音楽だった。

訊いてみるとなんでも
私が尊敬するコルトーの弟子、そして
なんとフルトヴェングラーの弟子ではないか。

私はその場で土下座して弟子にしてもらう。
そしてやはりここでも「同化の術」を使う。

彼の楽譜を全部借りた。
彼の手法は全て真似てみた。

だがどうしても一つだけできないことがあった。
それはモーツァルトのテンポだった。
どうしても彼と私に1ミリのずれがあるのだ。

そのズレを今は「体質」と理解している。
ズレがあって正しいのだ。

但しそこまで徹底して出てきたものは
スゴイ効果だった。
私の20代はあっという間に過ぎていった。

守破離という言葉がある
様々な解釈があるが、
これは人それぞれが各々自分で見つける真理だと思う。

私は日頃からこの守破離とは
日本で俗に言う
「枠から入って枠から出ろ!」とは
少し違うように思っている。

忍法「同化の術」とは
自分が憧れるひとや価値観に
「自発的に・自由に」同化することだ。

でも誰からも枠を嵌められることがないことが
第一の条件である。

第二の条件として
自分自身が同化できるような
同じ方向性の価値観を探すこと。

私にとってウィーンで行われていた
当時の音楽の価値観は
基本的に同化することができたし
それを自分の基礎とすることもできた。
まさにGrundstein(礎石)となったわけだ。

自分の基礎づくりが
自分の目指す方向と違う場合
東京に行きたいのに
大阪行の新幹線に乗り込むようなものだ。
そうなれば大幅に時間をロスすることになる。

極論するならこの2つさえ上手くできれば
あなたも指揮者になれる。

私はそうやって短期間で
指揮者になることができた。

多くの指揮者がそうやって同化の術を使った。
あのカラヤンだってトスカニーニに同化した。
バーンスタインはミトロプーロスに。
ワルターはマーラーに。

今日からは自戒を込めて
指揮者になる法を書いてみようと思う。

横浜の自宅から
今日も素敵な一日を!
村中大祐より

 


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