【師匠のマークにどやされた話】

どうも。村中です。
前回お話したのは
何かを学ぶときのマインドセットでした。

誰かから何かを得てみる。

自分で独学ができる人は
自分のやり方が
既に身に付いているはずですから
それをやればいいんです。

でも基本的に学校では
そういう教え方はしませんね。

やっぱり同化はしてみるものです。

相手の観方というか
その視点に一度立ってみて
それがどういうものなのか
感じてみる必要があるのです。

でも必ず早い時期に
自分のクセが邪魔をしてきますよ。

そうしたら真似事とはサラバして
すぐに自分のクセの方を大事にしてみるといいです。

そうすると
実はこの「くせ」ってやつから
自分の軸ができる。

そういう話でしたね。

こういうのを、
やっぱり学校で教えなきゃだめ。
先に体感がきて、
その後に理屈を会得するんです。

これはアタマじゃない。
身体から分かって腑に落ちるものです。

体感を100万回体験したあとに
理屈1が来る。
自分でわかる時がくるまで
続けるんですね。

あなたはどうやって
物事を習得していますか?

私は時間はかかりますが
大抵このやり方で生きてきました。

そういう教え方というか学びは
昔の寺子屋にはあったんですね。

外国語なんて
それをやらなきゃ
わたしみたいなノロマは
絶対うまくならないんです。

でもみんな外国語は「言葉だ」とか言って
お勉強して
その殆どを全部
理屈で行くわけです。

そうすると、わたしみたいなのは
ぜったいに言葉が身に付かないんです。

英語なら英語で
まず英語と向き合って
自分の軸を見つけることが先決です。

そうやって行けば
何でも達人になれる。

禅の師匠は、弟子に教えないんですね。

だから弟子は師匠を真似ようとするんですが
人間が違うし、経験も違って
同じことをやっていても
見ている景色
自分の中に広がる世界観が
もう、まったく違うわけです。

師匠は自分の視点だから
別に苦にならないけれど
弟子は無理してその視点に立つから
そうやって師を真似るのが
非常に負担だし、苦しいわけです。

なぜなら、弟子は師匠と別人だからです。

他人に同化するってのは
その位つらいんですよ。

でも、それでも
同じ景色を見ようとすることが
まずは大事なんです。

飛躍するために。
それに、見え方の違いは
やってみた本人でないと分からない。

そこで次の課題がやってくる。

真似していると
自分が見えなくなるので
真面目にやってる奴は
必ず自分の世界を
何とか見つけ出そうとするもんなんです。

でも残念ながら
自分が日頃嫌っている「自分のクセ」以外に
ハッキリ言ってほとんど目につかない。

でもそれでいいんです。

そいつを「バチっ」と捕まえて
自分がそれまで嫌っていた
あるいはお荷物だと思っていた
そのクセを
自分の核にするの。

そうすれば師匠を超えられるんです。
そこから新たな旅が始まるわけです。

私の場合は師匠と同じ舞台に立てたことで
それを体感できました。

倒れてくれなきゃ、それは分からなかった。
だから本当に貴重な経験でした。
(トレヴィーゾ歌劇場でのモーツァルトの「魔笛」を
わたしが師匠の代役に立った時の話です。それが
イタリアでのオペラデビューとなったのです。)

そして師匠は私の成功に嫉妬しました。
そりゃしょうがないんですよ。

私に盗まれたわけだから。全部。
秘儀も成功も。

だから怒りましたよ。すごく。

「なぜ私のテンポを取らなかった!」

後で病院に見舞いに行ったら
かなりきつい口調でそう問い詰めてきました。

そんなもん、できるわけないじゃないですか!
わたしたちの世界は
すべてミリメートルどころじゃなくて
ミクロのタイミングの差で出来上がっていて
同じようなことができるわけもないんです。

彼とわたしは違う人間だし、
息も身体つきも違うんだから。

それでいいんです。
そうやって自分を作って行く。

人は何かを受け継いだなら
その受け継いだ伝統を
また後世につないでくれるような
優秀な後継者を
造らなきゃいけないんです。

誰でも。
教えなきゃなんない。

でもその時、一番大事なのは

教える方も、教わる方も
マインドセットが大事です。

どれくらい本質を見極めていくか。
本質を見極める眼を
後継者が持っているかどうか。
それによって物事は変わってきます。

本質さえ押えていれば
後継者は勝手に経験を積んで育っていく。

あとは旅をさせるしかないんですね。
それぞれの道であって
同じ道は一つとしてありません。

私の師匠はメンデルスゾーンとモーツァルトで
ロンドンで一世を風靡しました。

二人ともね。
ペーター・マークもクラウディオ・アッバードも。

それに二人ともロンドン交響楽団の指揮者でした。
二人ともロンドンでメンデルスゾーンを録音しています。

マークはおまけに
ロンドン交響楽団とのモーツァルトで
一世を風靡した。

おまけにグラインドボーン音楽祭に
イッセルシュテットの代役として
「フィガロの結婚」でデビューしたんです。

そして弟子の私も、どういうわけか、
シチリアの成功の後、彼らが活躍した
ロンドンへ呼ばれて、東洋人で初めて
「ドン・ジョヴァンニ」を
グラインドボーン音楽祭で指揮したんですね。

その後、ロンドンとは縁遠くなったと思ったら
イギリス室内管弦楽団とのご縁ができて
そこで今度はメンデルスゾーンの「スコットランド」を
指揮することになり、
それがまた大変評価が高かったので
チャールズ皇太子のところまで
話が上ったわけですね。

その「スコットランド」、
実は最初に演奏したのは京都でした。

京都市交響楽団とのスコットランドは
当時すごく褒めてもらいました。
素晴らしいオーケストラですよ。

でもまだ当時わたしは
師匠の影響から抜け出そうとして
躍起になっていた時代です。

それが落ち着いて
自分が納得いく演奏をできるかどうか
試しにOrchester AfiAと演奏してみた。

そうしたら偶然その時期、
大英帝国のひとつ、スコットランドが
英国から独立する国民投票の時だったんですね。

その時の演奏をもう亡くなりましたが
宇野功芳さんという音楽評論家が
公演のライブ録音のデビューCDを
どういうわけか聴いて下さり
見知らぬ私たちの演奏を
レコード芸術誌上で絶賛してくれました。

録音は完全なライブですが、
日本の音楽家の
最高峰が集って、
素晴らしい演奏をしてくれています。

実は英国でロンドン公演の前に
この曲を演奏するために
ちょっとだけスコットランドを知りたいと思って、
エディンバラを旅したんですね。

そこでホーリールード宮殿に行ったんです。

この宮殿を訪れたメンデルスゾーンの脳裏に
第一楽章のメロディーラインが浮かんで
この名曲「スコットランド」は生まれました。

彼は「メアリー・スチュアートの悲劇」を
当時シラーがドイツ語の劇作に仕立てていたので
それを読んでいたようですね。

だからこの歴史物語の効果も相俟って
相当強いインスピレーションを受けたようです。

実は宮殿といっても廃墟なんですね。
だから空とかが見えていて、
天井なしなんですよ。

そこに苔が生えていて
そんな状態の宮殿のなかで
佇んだ瞬間、メンデルスゾーンの感性は
メアリー・スチュアートの悲劇を
思い描いたようですね。

そうしたら、すごく霊感が沸いて来た。

イ短調の旋律が
アタマのなかにバーッと出てきて
それをノートに書きとったんです。

その手稿はありがちことに
後世に残されて
私たちはその筆致を
見ることができるんですが

そこからは何となくですけど
メンデルスゾーンが
何か感じたんだろうなぁっていうのを
読み取ることもできるんですね。

昔は筆(羽付きペン)と
インクで楽譜を書いていたから
仮に楽譜読めない人がこれを見ても、
筆の勢いから色々な雰囲気がわかる。

あの文豪ゲーテは
若いメンデルスゾーンが
師に連れられて自宅にやって来ると
この若い12歳の小僧にピアノを弾かせます。

老人は彼を試したわけですな。
当時ゲーテは70歳を超える高齢。

12歳がベートーヴェンの運命とか
モーツァルトの有名なト短調のシンフォニーとか
あっという間に即興で弾き始めたのに驚いたゲーテは

もうモーツァルトの再来と言えるほどの
天才だということで
彼を大変可愛がったんですね。

メンデルスゾーンは昔からゲーテの大ファン。
というか、家じゅうが大ファンでしたから
彼は後にゲーテの「イタリア紀行」を真似て
イタリア中を旅行したわけです。

そんなエピソードもいっぱい詰まった
「スコットランド」と「弦楽八重奏曲」のCDなんですけど
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やっぱり音楽は身体で感じないとね。

村中大祐

P.S.これは実は2月にメルマガで読者にお送りしたもの。

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