コスモポリタンの勧め⑤「外国語が必要なケースもあるね。」

From:村中大祐

オペラを勉強し始めたのは割合に早い時期だったと思う。
そもそも最初はピアノを弾きながら
全部の役を歌うことから訓練を始めたけれど、
それがLa Bohemeだったかな。

ロドルフォが歌う
Nei cieli bigi gurado fumar
dai mille comignoli Parigi
って始まる歌詞で、
bigiなんて使わないわけ。
本来grigiであってbigiとは
日常会話で言わないの。

って言うか、ドイツ語学科だったし、
英語が基本だからイタリア語なんてわからないんだよね。
プッチーニのスコア開けると
いきなりイタリア語でト書きが書いてあって。
「これやるんか?」と思ったわけ。

今ならイタリア語は多分日本人の公式通訳が
褒めてくれるくらいできるから、あまり問題はないけれども、
そもそもオペラを日本人がやるってのは大変なわけ。

指揮者は特に周囲が皆5か国語くらい簡単にできるから、
やらなきゃいけない、ってなるの。
カラヤンもアッバードも、バレンボイムもみんなできる。

最初に指揮の先生だったカール・エーステライヒャーは、
英語ができなかったから国際的なキャリアは築けなかったと、
他界する前の年まで授業でぶつぶつ言っていた。
次にウィーンの国立音大に来たレオポルド・ハーガーって指揮者は、
メトロポリタン歌劇場で当時「ドン・ジョヴァンニ」とか指揮していたけれど、
イタリア語は全然わかっていなくて、
授業でもドンナ・アンナのセリフの読み方が全然違っていた。
ルービンシュタインはその自叙伝で、
ポーランドにロシアが侵攻した「お蔭」でロシア語が義務付けられたから、
ロシア語ができるようになった、と回想しているし。
そんなもんなんだよね。

つまり言葉はオペラをやる手段だからできて当たり前で、
できないと絶対的ハンディと考えるわけ。
ここで目の前の言葉がわからないと
どうしたって自己矛盾が起きてくる。
自信を失いかねない。
「これで俺はやっていけるのだろうか?」
そう思うのは当然だと思う。
少なくとも僕の場合はそうだった。
最初に開けたボエームのスコアは
それはもう恐怖だった。
書いてあることの意味がわからないままやるって、大変なわけだ。
自分ひとりならまだしも、それを人と共有しなければならない仕事だけに
歌手が全員前に並んで、その中にイタリア語ができる人がいたら
ましてや全員がイタリア人だったら
貴方はわからないままに
どうやって稽古をする?

それでも「音楽があればオペラはできる」って言うけれども、
絶対的に無理な個所がたくさん出てくる。
ではどこまでできたら、「これでいい!」ってのがあるのか?
って言うと、「これでいい!」ってのが
音楽と同じで、ある訳ないから困るのね。

どこまで行っても「俺はできない」みたいになると、
それはもうそれで可愛そうなの。
一生の後悔、みたいな感じになっちゃう。

でも「ある程度」できるようになると、楽しいわけ。
書いてあることが全部理解できる程度にスコアなんかが読めると、
今度はそこから色々なことを想像できるから、
豊かな解釈は生まれてくるものなの。

だから音楽家はみんな言葉をできるように努力して来たんだよね。
豊かさの象徴だから。
多言語を使えるようにするということは。
だから本気で取り組むつもりがないなら、
「俺には必要ない!」として切り捨てれば良い。
でもある部分を知らないまま
その後を生き抜いて行くことになることは、覚悟して。
それも決断だから。そうやっている人も沢山いるし。
人生の選択だよね。

僕はルービンシュタインやカラヤンの生き方に憧れたから、
そうなろうと思って努力したの。
だからできるようになった。
物凄い時間と労力、お金をかけて。
大抵みんながコンプレックス持っている話題だから、
長い間書くことをあまりしなかった。
でも伝える義務を感じるようになったから、書くことにした。

大きなお世話と言いたい人もいるだろうけれど
あくまで手段だからね。言葉は。
表現の目的でないことは覚えておいて。

横浜の自宅から
村中大祐

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