指揮者の交渉術⑲「異国の街と交渉する方法」

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From:村中大祐

ローマの街を初めて訪れたのは
ちょうどペスカーラという街で
ベートーヴェンのプログラムを指揮し終えた
その直後のことでした。

文化庁芸術家派遣制度で
国から派遣されることが決まったのはいいんですが
それまで6年住んで足場となったウィーンから
全く異質な街であるローマへと拠点を移すことは
当時の私には冒険以外の何ものでもなかったのです。

ただ、ちょうどウィーンで音楽三昧をした後
イタリアで仕事が始まり
急に「日本」が自分のなかで枯渇した感じになったのですね。

何もかもドイツ語で
何もかも音楽漬け。

そんな毎日の中で
23歳までの自分の日本観みたいなものでは
やっていけないような気がしてきたのです。

それで当時は研修先として
誰も選ぶことがなかった
ローマという拠点を選択したのです。

なぜならローマには在外公館があるから。
日本の書物なども図書館に行けば見つかるかな?などと思ったり。

ちょうど仕事でローマ以南の街ペスカーラに行った帰り
ローマで家を探しました。

自分が住む場所を選ぶためだけに
とにかく半日で家を決めるという
暴挙に出たんですね。

よくもまあ、やってのけたものです。
半日でローマの家探し。
観光する余裕はどこにもなく
私は午後ローマ入りして
家をとりあえず契約。
疲れ切った私は
翌朝すぐにフィウミチーノ空港から
ウィーンに戻ったのでした。

今思えばローマとの「格闘」は本当に大変だったのですが
やはり最初から大変でしたね。

今日はローマという街の「感触」をお話します。
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