ブルックナーの世界について

交響楽The Symphonyという講座をやっているんですけどね。

第3ヵ月目に入って、ようやくブルックナーの響きについての講義みたいな話をしているんです。

考えてみれば、「ピアニスト列伝」で感じ取ってもらった、シューベルトについての感覚が、この「The Symphony」でも生きて来る。

それは、ひとえに、私が横浜で語っていた「街の音、街の色を作る」という話に結びつくわけですね。

ブルックナーというのは、ある意味哲学であり
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲や、後期のピアノソナタの
延長線上にあるとも言えるんですが

それは、それ。別に神学や哲学の話もして良いのですが

そんなことは、神の領域の話になって来るから
人それぞれってなわけでしょ?

それより、もっと感じられることが沢山ある。

ブルックナーの世界は
やっぱりカタチの世界。

それは数学的な思考や
論理的なものがあるけれど

音の奥底にあるものを
感情として理解できるかどうかが
けっこう鍵だったりする。

だから、版についての話になると
みんなが極端に小さなアクセントについて
云々し始めたりするけれど

全体の構図のなかで
本当にその一つの小さなキッカケを
理解できているかどうかは
結構怪しい。

シューベルトも同じような
話になるんだけれど。

部分や全体の構図だけじゃなくて
もっと皮膚感覚の
大事な視点があって。

それを、捉えたかどうか
感覚的に観たかどうか
本当に観えたかどうか

それを、分かって再現できたかどうか

その辺りが大事かな。

確かにブルックナーは
ワーグナーの影響はあるよ。

でも、それはかなり
限定的と言えるかもしれない。

当時、影響を受けなかった人なんて
いないんだから。

そんなことを思い出しながら
講義録を書いた一日だった。

今日も素敵な一日を。
村中大祐

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