自然と音楽は「海」との出会いから。

From:村中大祐

南北問題。

あなたは経験したことがありますか?
日本は北東と南西に向かって長く伸びていますから
南北についてあまり頓着ない国のような気もします。

いかがでしょう?
既に経験済みという方いらっしゃれば、
是非体験談を教えて下さい。

多分おられないのではないでしょうか?

では質問を変えます。
海外経験者の方もおられるでしょうが
その中で、海外の南北問題を肌で経験されたことは?

私は長い間イタリアの首都ローマに拠点を置いていました。
その関係で、まずは北のミラノとの比較がありました。

でももっと言えば、北の国々との比較をしながら

「ああ、もう少し北に行きたい」と思ったのです。
その目標はロンドンでした。

そして2009年、意を決してローマからロンドンへ
拠点を移すことにしたのです。
ちょうどその年は日本で自分たちが創り上げたオペラの
最後の年であり、2010年からは横浜市が財政的に無理とのことで
(これは嘘でしたが)、私たちは日本での義務からある意味開放されました。
(私たちとは、私とミヒャエル・ハンペ氏のことです。)

そしてローマにあった荷物(20年分)を
ロンドンにまず送ることにしたのです。

2008年に車の免許を取得。これもすべて引っ越しのため。
出来ないと思っていたものが、手に入り、本当に驚きました。
40を過ぎた自分に免許が自分に取れるとは、到底思わなかったので
これをきっかけにして、全てをやってもうた、というところでしょうか。
翌年日本での義務から解放されて、遂に拠点移動に成功したのです。

ロンドンに移った私に、新しい考えがふと浮かんだのです。
それが「自然と音楽」のテーマでした。

ちょうど2003年の聖チェチーリーアの祝祭日に
「オーケストラを造れ」という声が聴こえたように
このテーマが生まれました。

すると2か月後、2011年の3月11日、
東北大震災が起こりました。

私はそれから3週間ちかく精神的にノイローゼ状態というか
「何か日本のためにしなければならない!」と思い詰めたのです。

日本を離れたまま、何もできないのが本当につらかった。
そして5月に突然、イタリアの国営オーケストラのひとつ
Orchestra Sinfonica Siciliana(シチリア交響楽団)と
追悼演奏会が実現します。

そしてテーマは偶然「海」でした。
先方のオーケストラが既に決めていたプログラム。
予定の指揮者がブラジルから来られなくなり
私にオファーが来たのでした。

これが最初の「自然と音楽」演奏会となります。
イタリア語ではNatura e musica
部分的には私がプログラムを少し作り変えて
ワーグナーの「さまよえるオランダ人」の序曲や
メンデルスゾーンの「フィンガルの洞窟」を入れ、
ブリテンの「海の間奏曲」とドビュッシーの交響詩「海」
これらがプログラムとなりました。

そして最後の作品「海」を追悼とするつもりで
演奏前に聴衆にアナウンスしたのです。

「この作品を福島にささげます」と申し上げてから
ドビュッシーの作品を演奏しました。

すると目の中に飛び込んで来た音の残像はすべて
「自然の美しさ」でした。

音に表現された世界は、人間の自然への愛情でした。
それを改めて感じた私は、逆に音楽の果たすべき役割のようなものを
そこで感じたのです。

それが「自然と音楽」演奏会シリーズの始まりです。
音楽が内に秘めたメッセージ。
それらが自分の魂に語り掛けて来るような感覚でした。
(To be continued)

今日も素敵な一日を!
横浜の自宅から
村中大祐

追伸:
この作品、ドビュッシーの交響詩「海」は
5か月後に、またイタリアで演奏します。
ドビュッシーの没後150周年記念公演で
Teatro massimo Bellini di Catania
カターニアのベッリーニ歌劇場にて
演奏予定です。

 

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