音楽を聴く技術であなたの人生が変わるとしたら?

音楽を聴くってのは、ヨーロッパでは当たり前のように、エリートや富裕層の「嗜み」だったわけで、それが実は共通の暗号だったりする。
 
えっ?暗号?
 
そう。ブロックサインのようなもの。だからクラシックに精通することで、人としての品格だったり、スタイルなんかを推し量られるわけ。
 
例えばモーツァルトを例にとったら分かりやすい。
モーツァルトは何の代名詞か。これが答えられるかどうか。
 
別にそんなもん、どうでもいい、という人は、実に勿体ないと思うわけ。何故なら、本当に自分の感性や世界が、ちょっと音楽の聴き方に習熟することで、見事に変わって行くから。
 
コンサートに行って、ブラボーって言うだけが能じゃないし、(これを読んでいる人はその位のことはわかっているはず)
 
人の演奏を聴いて批判するだけなら、誰でもできるわけ。
粗探しをして、あれがダメだとか、言うならテレビに出ている安物のコメンテーターと変わらない。
 
やっぱりホンモノを知っていると、得をするわけ。
 
ホンモノには全て共通点がある。それを見抜いて行く楽しみが生まれる。それを自分の人生に活かすことが可能になる。
 
音楽ってのはそう言う意味で、極めて抽象的なのね。
だって目に見えないから。
 
だから音楽、例えばモーツァルトは何の代名詞なのか?
この辺りを答えられる人は、多分そう多くはないと思う。
 
それはね。つまりスタイルの代名詞だと言うこと。
人間レベルで言えば、コスモポリタンの代名詞。
そして言わずと知れた「神童」や「天才」の代名詞。
 
でも神童や天才は誰でもわかるけど、あまり意味がないの。
だって、あなたは今からモーツァルトになろうったって
成れないわけじゃない?
 
やっぱり成れるものを語らないとね。
 
コスモポリタン?簡単だよね。世界を旅すれば、コスモポリタンになれるよ。
 
スタイル?何?それ?ここは分からないかな。そこは音楽を超えた、「生き方」の領域だと思うわけ。
 
それが音楽の中に学べると、ヨーロッパの人は考える。
 
音楽って、スタイル、つまり様式を学ぶの。カタチだったり、型だったり、礼儀だったり。
 
ほら、だんだん日本の文化伝統にも近づいてきたね。
 
メヌエットではお辞儀しなきゃなんない。だから礼儀も入る。
そういう愉しみが音楽にはあって。カタチも単なるカタチでは終わらせない。
 
その辺りを作曲家が考えて作って行って、今度は演奏家がそれを音にするわけ。
 
そこには様式感っていうスピリットだったり、カタチの中の愉しみだったりする。そうやって「感覚」や「感性」を磨くと、
パーティなんかで、初対面の人と話したときに差がつくわけ。
 
外交官なんて、そういう教育できていれば、本当はスゴイ効果があるはずなんだよね。
 
政治家もこれは学ぶべきだと思う。
 
中国で言えば、四書五経。昔日本で寺子屋で教えていた「徳育」のレベルなのね。
 
実はその辺りが一番私たち日本人が、現代では怪しい。
教えられる人がいないんじゃないか。
 
音楽ったって、なんのために音楽をやるのか。
考えたことない人が音楽家になってるはず。
 
楽しいもいいんだけど、やっぱり世の中の役に立たないと意味がない。
 
音楽とは何のためにやるのか。
 
古代から、世界の学問の中に何故音楽があったのか。
 
バランス感覚。平衡感覚。数の魔力。真理の感覚。空間と時間。Charmeと色彩感覚。イデオロギーと社会の対立。歴史。金の動き。。。etc…
 
全てが音楽で語り尽くすことができる。
 
なぜか?
 
それはね。目に見えない存在だからなの。
何にでも化けられる。
 
それが音楽の強み。
 
人間の生きる営みのすべてに関わるスゴイ奴。
 
Music is Power. Power is the music.
 
DO YOU UNDERSTAND? むーらん
追伸:月末よりクラシック音楽の「本格的な」聴き方講座を開講しようと思っています。
月2回くらいの割合でお題となる録音を聴いて頂き(つまりインプット)
それに対してのアウトプットをしてもらおうという講座です。
楽しみにしていてください。

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