コスモポリタンの勧め⑦「喜劇?それとも悲劇?」

From:村中大祐

私がウィーンの音大指揮科に入学したての頃
出された課題の中にモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」があった。その頃はまだカラヤンが他界して間もなかった頃で、
ザルツブルク音楽祭でカラヤンが演出と指揮をした同オペラの映像が
ソニーの力を借りて世界中に流布されていた。カラヤンは御年80歳近く、「まさにデモーニシュなモーツァルトの世界を体現した」名演奏として音楽ファンの関心事になったと記憶する。

当時まだスコアもろくに読めない私は、課題として出されたこの名作オペラの最初ですでに躓いていた。

何故なら勉強用のボーカルスコア(歌手とピアノ伴奏のために書かれた楽譜)には、「Don Giovanni Heiteres Drama/KV 527」とあったからだ。

ドイツ語のheiterという形容詞は「明るい、気持ち良い」といった意味で日常的に使うし、天気を示す場合は「晴れ」を意味する。従って「明るく晴れ晴れしたドラマ」という直訳になる。

イタリア語で書く場合は「Don Giovanni ossia Il dissoluto punito
Dramma giocoso in due atti KV527」となるのだが、訳するなら「ドン・ジョヴァンニ、或いは罰せられた放蕩者。二幕の喜劇KV527」となるだろうか。

そりゃあ、確かに最初のレポレッロの出だしなどは喜劇とも言えるだろうけれど、私に言わせればいきなりニ短調で序曲が始まると、もうそれはモーツァルトのニ短調で、レクイエムに同じ。

そうなれば喜劇と言えるかどうか。
最終的に放蕩者を地獄に追いやって幕を閉じるが
このオペラの底流に流れるニ短調は
その地獄のシーンで最高潮に達すると
もうイメージは悲劇としか受け取れない。

それを「明るく晴れ晴れ」あるいは「喜劇」という形容詞で
描く西洋人の文化とは、いったいどういう感覚なのか!

まあ、これはカルチャーショックだったわけ。

ちなみにこのスコアは140シリング。旧東独のライプツィヒで製造されたブライトコップフ版で、ドイツ語とイタリア語の歌詞がついて、1500円程度。ドブリンガーというウィーンの有名な楽譜屋の中古楽譜の山の中から発見して買い求めたものだ。何となく表紙の色は東独らしいが、あまり内容とは合わない色だ。

この辺りの演劇の悲劇・喜劇のカテゴライズは難しいけれど
コメディア・デル・アルテというものの歴史を見ていくと
だんだんに理解できるわけだ。

元はと言えば仮面劇。その中に含まれた喜劇とも悲劇とも取れない、複雑な文化的側面を感じることによって、「アタマの中では」この疑問は解消されたと思う。

それに、原作というか、ドン・ジョヴァンニを同じく書き残したモリエールの戯曲を見れば、そこにはモーツァルトのあの音楽はないわけだ。

シチリアで嗅ぎタバコを吸うレポレッロならぬズガナレッロが、
「アリストテレスの哲学より嗅ぎタバコの方が素晴らしい」と始まるくだりを見れば、それはもう、喜劇以外の何ものでもないのだろう。

ひょっとしたらモーツァルトは自分の放蕩三昧の生活が、まるでドン・ジョヴァンニと酷似していたため、自分が罰せられるのと同じ気持ちでこのオペラを書いたから、喜劇ならぬ悲劇のニ短調で全体を無意識にまとめあげたのかもしれない。

文化の違い。伝統の違い。
面白いよな。

ヨコハマの自宅から。
村中大祐

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