僕が京都の樂美術館を訪れたのは大学生の頃。
15代の吉左衛門さんの器を見て「これは彫刻か?」と思った。
そして「かたち」というものに興味を持った。

それまで「音楽は精神の流れ」と嘯いていたが
長次郎の黒樂からの樂茶碗の変遷を見ながら
15代が自身のなかに西と東を見事に兼ね備えて
表現されたその「かたち」が、僕の魂を揺さぶった。

それから6年か7年後に、ひょんなことからご本人に
イタリアのローマでお会いすることとなり、
自分も少しばかり茶を愉しむことができるため
今回の琵琶湖「佐川美術館」訪問となった。

ご長男の篤人さんの器を初めて拝見できたことは
今回の大きな収穫だった。
なぜこんなに完成度が高いのだろう?と不思議だった。
そして黒樂に赤が盛られた表情には
正直驚かされた。
ふと海老蔵の華が頭をよぎった。

その日は特別に茶室を拝見することを許されたため
小一時間ほど樂さんの哲学・美学を表現した
空間にこの身を預けることにした。

蹲(つくばい)のところで足が止まった。
次男の雅臣さんがジンバブエの黒い石で作り上げた
蹲のなかに手水口として柄杓が置かれていたその光景が
まるで「この世とあの世の境目」のように感じられた。

楽さんは学芸員の方の話によれば
「水の下に茶室を作る」ことが希望だったそうな。
それは「非現実」の世界を表現することにほかならず
生と死のはざまを意識したものに違いない、と思えた。

武士は一碗の茶を飲むことで、戦に向かう心構えを知る。
「一碗の茶」とは「いのち」のやり取りでもあったようだ。
そんな覚悟を求められるような蹲に見えた。

次男の雅臣さんは彫刻家であり、以前銀座の個展で
勾玉や棺を展示されていたことを思い出した。
何かあの茶室は、そういった家族の意識がひとつになり
独特の世界を醸し出すような、そんな佇まいに感じられ
誠に愉しい1時間だった。