さて、日本はまさに師走の忙しさだと思います。
お元気でお過ごしでしょうか?
私は昨夜遅くにイタリアのシチリアはカターニアに到着しました。
今回は新年明けのニューイヤー・コンサートを指揮するために
イタリアに3泊5日の強行軍をしている最中です。
昔修行時代、イタリアの歌劇場をあちこち動き回りましたが、
ここカターニアのTeatro Massimo Bellini歌劇場も、
パオロ・コーニ、マリア・グレギーナと言った一世を風靡した名歌手たちの胸を借りて、
今から15年以上前にヴェルディのオペラ「マクベス」の練習指揮をしたことが思い出されます。
経験というものは、買ってでもすることが、後に大きな財産となりますね。
今回のイベントは20曲近い楽曲を、短期で纏め上げられなければダメな仕事ですが、
もちろんカルメンやグノーと言ったフランス語オペラから、ウィンナーワルツが8曲、
ヴェルディの椿姫やナブッコの合唱曲、チャイコフスキーのバレエ音楽にオペレッタの数々。
昔の自分ならかなり手強いリハーサル内容も、オーケストラの協力で朝の2時間半で
そのほとんどが出来上がりました。
最近指揮する機会の多いイギリスのオーケストラにある器用さや洗練は、
また違った形でイタリアらしさの中に発揮され、極めて楽しい音のブレンドが聴こえて来ます。
夕べ夜11時ごろにホテルに入り、今朝は6時に劇場まで散歩。
明日コーラスとのオケ合わせを3時間ほどやれば、
明後日の本番に臨めそうです。
私は練習そのものより、オーケストラとの音楽的なやりとりを、
如何に自由にインスピレーションに溢れる形で実現できるか、が一番の楽しみです。
あまり練習はしたくないのです。
こう書くと驚かれるかもしれませんが、昔はそういう指揮者が沢山存在しました。
私が特に尊敬するVictor De Sabataデ・サーバタという指揮者は、
指揮する度に何か新しいアイディアを提供できる指揮者でした。
イタリア人としてトスカニーニの後にバイロイト音楽祭でトリスタンを指揮し、
コンサートでも大活躍した天才でしたが、ロリン・マゼールやセルジュ・チェリビダッケが
最も影響を受けたと証言しているのを読んだことがあります。
今思い返すと、私の指揮者としての、あるいはアーティストとしての信条は、
イタリアで培ったこの自由さなのかもしれません。
それは久しぶりにイタリアのオーケストラを指揮して見て、
よく理解できたように思います。
彼らを技術やマネージメントで押さえ込もうとしても、
イタリア人が生来持ったアーティスティックな感性を
封じ込むことなど無理なのです。
持っている才能と魅力を見せる他ないのです。
指揮者の勝利とは、彼らの持てる力を最大限に引き出した時であり、
イタリア人の場合、組織的な理屈や技術力などで纏め上げても、
相手にして貰えないのです。
リーダーではなく、アーティストの姿を要求されます。
イギリスは両方のバランスを求めますが、
日本は組織的な理屈を優先させようとするのです。
私が指揮者の立場からリーダーシップについて語るのは、
こう言った違いに目を向けることが、
日本人の新しい価値観を生み出すことに繋がっていくと
心から信じているからです。
来年は更にパワーアップしたリーダーシップのお話を
楽しみにしていて下さい。
良いお年を!
イタリアより
村中大祐
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