Yoritomo Minamotoが紡いだご縁

昨日は源頼朝公のお話をいたしました。

そのご縁とは、まさに不思議なものです。

Yoritomo Minamotoの御名を自分の最初のCDで

使わせて頂いたことがご縁で

行く先々で頼朝公の足跡を感じることになりました。

更には今の鶴岡八幡宮で2013年の神嘗祭においては、

これはオーケストラとしては初めてだと思いますが

まさに10月の満月の日に

Orchestra AfiA「自然と音楽」演奏会「満月に寄す」のプレ公演として、

八幡宮境内の一角でリハーサルをさせていただき、

また普段イヴェントなどで使われる舞殿ではなく、

本宮右手の若宮内で奉納演奏をさせていただきました。

これは私たちが進めておりますプロジェクト「自然と音楽」演奏会シリーズ

大切なコア・コンセプトを表現するために行ったものです。

このコア・コンセプトについてはいずれまた書いてみますね。

いずれにしても、すべては頼朝公との不思議なご縁から

始まったことだと思っております。

ところで…

私が1995年に第一位となった第一回マリオ・グゼッラ国際指揮者コンクールでは、

バリ交響楽団との共演が最初の優勝賞品だったように記憶しています。

パスクワーレ・ヤノーネさん(ピアニスト)との南イタリアツアーを

計5~7回(記憶が定かではない)行いました。

まだ20代の若さで、プログラムはベートーヴェンのエグモント序曲、

ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番、そしてドヴォルザークの交響曲「新世界」という

プログラムだったように記憶しております。

当時ピアノメーカーのFazioli(ファツィオリ)氏が同行され、

「世界で一番大きなピアノ」という触れ込みで、

南イタリア中をバスで行脚したのですが、

あまりに大変なプログラムに、バナナを公演前に7本食べて臨んだことを、

今でもハッキリと思い出せます。

確か96年の夏だと思います。ですからもう20年以上も前のことです。

当時は仕事が始まって、イタリア各地の歌劇場でもチャンスを頂くようになりましたが、

それがきっかけで文化庁の「芸術家派遣制度」に

応募をするようお話が降って沸いたのでした。

そして2年間の契約で国費を頂きながらイタリアで研修する形となったのですが、

ちょうど武者修行中の身でしたから、国からの援護射撃はありがたかったわけです。

ところがCDが発売されることとなり、

いわゆる在外研修員は現地で収入を得てはいけない規則があったのです。

(今は知りません。)

そこでレコード会社のトップと話をして、Pseudonimo、つまり偽名で契約し、

売上金の分け前を放棄してオーケストラに寄贈する形にしたわけです。

ただその時に「偽名」と言っても、他の誰かさんに迷惑がかかってもいけないし、

また誰かに流用されても困る。

そこで徳川家康、豊臣秀吉、源頼朝の三者の名前なら、

誰も現在存在しないだろう、と考えたのです。

(ビックリしたのは徳川さんや織田さんという方たちが活躍しておられたことです。

外国に居たので全くしりませんでした。)

三者の中から源頼朝公を選んだのに理由はなかったと思います。

一番遠い存在だと思っていたからです。

それがこんなに近い存在になるとは思いもしない、

まさに不思議な出来事でした。(おわり)

追伸:ちなみにインターネットで調べると以下の情報が出てきました。

http://www.cadenza-cd.com/label/phoenix_cl.html

PH-97314
ミナモト・ヨリトモ指揮~
ラフマニノフ(1873-1943):
ピアノ協奏曲第3番 ニ短調 Op.39(*)/
楽興の時 Op.16 から〔第4番 ホ短調/第5番 変ニ長調〕
パスクアーレ・イアンノーネ(P)
ミナモト・ヨリトモ指揮(*)
バーリ県so.(*)
録音:1996年7月24日、ドゥニ劇場、マテーラ(イタリア)、ライヴ。
謎の指揮者 Minamoto Yoritomo についてはブックレットにも紹介がなく正体は不明。ブックレットにオーケストラを指揮する人物(日本人には見えない)の写真があるが、ピアノ協奏曲演奏の光景ではなく、指揮者名も記載されていないので無関係と思われる。

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