黒猫のエレナ

ローマという街には猫が多い。

円形劇場コロッセオからヴェネチア広場へ向かって左にあるフォーロ・ロマーノ(Foro Romano)は、猫の居住区として有名だ。遺跡のそこかしこに姿をあらわす野良猫をプロの写真家が撮影し、毎年Gatto di Romaなどといってカレンダーが販売されており、それが跳ぶように売れている。

僕の拠点フラスカーテイもローマ近郊だが、野良犬は見当たらない。いるのはどこも猫ばかり。

歴史的に曰くのある場所には野良猫が群生しているような気がするが、フラスカーテイも例外ではないというわけだ。

ローマの興亡をつぶさに観察してきた遺跡に群がる猫たち。大戦中爆撃を受けた場所に群生する猫たち。まさにグロテスクという言葉がぴったりだ。

僕は犬が好きである。

犬は僕に命令などしない。だが猫という族(やから)はきまって命令系統である。それは人間でも同じのようだ。猫のような顔をした奴は、うま~く命令を下す傾向がある。それに比べて、犬の従順さ。馬鹿さ。猫にはスルリと騙されて、バカを見るのが犬の日常というもの。何を隠そう、この僕も犬の部類に属する。さながら大型犬レトリバーとでもいったところか。

だから猫が犬でない、という理由で迫害を加えることも少なくはない。それが犬好きの信条というもの。何が何でも犬でなければならない、という無茶苦茶な理論。たとえ相手が猫であっても、犬でなければ相手にすらしない、それが僕流のやり方である。

ところが、ある時この僕の信念を覆らさんとする事件が起きた。

エレナとの出会いである。

エレナという黒猫、なかなかの美女である。

黒いベルベットを着た碧眼の貴婦人。僕の好みのタイプだ。

そのエレナ、初対面の僕を見るなり「ニャ」と呼びかけると、足元に擦り寄ってきた。何という大胆さ。破廉恥さ。遠慮も何もあったものではない。そこには好みの女性に擦り寄られるときに感じる男のときめき、うろたえがあった。

犬好きを標榜する己の姿に、なにやらアラームらしきものが点灯し始めた。

エレナはそんな僕を尻目に通用門の前に我が物顔で居座ると、ここを開けろとばかりに「ニャア・ニャア」を連呼する。こちらに迷う余地など微塵も与えない。「イエス、マム」である。すぐさま鍵を取り出した僕は、何も言わずに扉を開く。もう条件反射だ。その狭い隙間をスルリとすり抜けていく辺り、いかにもズル猫のやり方だが、やられたっ!という感触すらない。

ここが犬であれば、尾っぽをフリフリ、飼い主を引っ張っていくことだろうが、彼女は違う。階段が湾曲するところで、こちらに一瞥をくれ、僕が上までやってくるのを横目で待っている。彼女に追いついたところで、またおもむろにすり寄ってくる。だが、撫でてやろうとするとスルリと擦り抜けてられてしまう。見事な手腕に、こちらはもう完敗である。

犬というものは先天的に愛想の良いものと相場がきまっている。不意打ちでいきなり「ニャ」と言われれば、ついつい「どうぞ」とやってしまうのが犬の心理だ。敵さんもその辺はちゃんと心得ている。しかも碧眼に黒である。黒を纏った時の女性の美しさ。。。

こうして気がつけば、いつしかエレナの通用門係に成り下がっていた。犬が猫に体よく手なずけられた格好だ。

猫に命令をされること数日、ある不安がよぎるようになった。

「僕は猫が好きになったのだろうか?」

考えてみると、猫については先入観があった。「ジャリンコチエ」というアニメを子供の頃よく見ていたが、そこに出てくるコテツという猫の醸し出す威圧感からか、猫とはこういうものだ、という先入観ができてしまった。猫を見ると河内弁で喋りかけてくるように思えるのだ。

だがエレナは違う。言葉すくなに相手を翻弄する。愚弄する。嘲笑する。でも許せてしまう何かがある。まさにIdentity-Crisisである。

ある日、例によってエレナが「ニャ」と寄ってきた。既に自己紹介もすませてある。遠慮はいらぬ。

そこで彼女に聞いてみた。

「お前、ワンワンと鳴けるか?」

「。。。。。」

「ワンワンと鳴けば、この通用門を開けてやる。」

「。。。。」

「ワンワン。ほら、言ってみろ」

この日からエレナは僕の顔を見ると「ニャ」とは言わなくなった。

多くの隣人が証言している。確かに「ワンワン」と二回。しかも猫撫で声ではなく、犬のように少し低い声を混ぜて鳴くのだ。僕のワンワンを真似るようになったというわけだ。

こちらの心境たるや複雑である。猫にワンワンを言わせて面目を保ったつもりでいたのだが、余計にエレナのことが愛おしく思える自分がいるではないか。

黒猫の美女にはご注意を。あなたも骨抜きにされてしまいますよ。。。

Huete dich, sei wach und munter! (Eichendorf, Zwielichtより)

追伸:これまでの村中大祐指揮Orchestra AfiA「自然と音楽」演奏会シリーズのCD-Rを、以下のサイトにてご紹介しています。
9月5日〆切で5部限定です。こちらからどうぞ。⇩
https://muranplanet.com/livecdrvol-1-4/

メルマガ登録はこちら↓

メルマガ登録は➡こちらをクリック

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です