今朝偶然アッバード指揮のモーツァルトのフルート協奏曲をBGMで流していて、その昔、とあるオーケストラと演奏した時の記憶が蘇ってきた。
ロンドンや東京で演奏しているということは、実は私の得意なレパートリーというわけ。
思い出したのは、東京の有数のオーケストラの第一フルート奏者が、デビューしたばかりの私に歩み寄り、「君はこの曲をピアノで弾いて、ちゃんと勉強して来たのか?」と言って来たエピソード。
まだ外国から帰りたての時だから、日本のオーケストラが怖くてしょうがなかった。私にとっても、もちろん彼らにとっても、異質感は只事ではなかった。
だからいきなりそんな話をして来たのも今なら分かるし、かと言って若い当時の私なら、こう来られたら、答えに窮してしまう。ショックだった。まずアタマはチーン。はてなマーク❓が点灯して、相手が何を言っているのか、どんな意図で若い指揮者に物申しているのか❓分かる訳もない。
もちろんそこで、「今夜一杯やりましょう❗」など言える訳もない。そんな勇気や知恵も働かない。
帰宅して悩み、テレビ収録が終わって、録画を何度も見直したが、何を彼が問題にしたのか、分からず終いだった。
もうかれこれ15年以上前の話。今だから話せるが、こういう悩みは海外で起こるはずのない出来事なだけに、やはり歳を重ねて経験を積んでみないとわからない。
問題は音楽に対する考え方の違い。そして指揮者に求めること、或いはモーツァルトの音楽についての感性の相違。
私の若い頃の大半は、この一つの命題に集約されていたように思う。
実はウィーンのモーツァルトはどれもピントが合わず、1990年にジョルジュ・クレーブという指揮者がザルツブルグ音楽祭のモーツァルテウム管弦楽団と演った交響曲「プラハ」をORFで聴いた響きが忘れられず、イタリアでペーター・マークに出会うまではヨーロッパ中で本物のモーツァルトを探し続けていた。
ある時、多分1993年頃だと思うが、オーストリアのグラーツ歌劇場のピアニストに応募して、R.シュトラウスの「薔薇の騎士」、ワーグナーの「トリスタン」、そしてモーツァルトの「フィガロ」2幕ファナーレを弾いた。見事合格だと言いながら、フィガロのレシタティーボのイタリア語を歌わされ、出来なくて採用見送りになり、暗くなった街を悔しくて泣きながら歩いた。「ドイツ語だけでは駄目なんだ」なんて思うのも、やはり若気の至りで、要はタイミングや人間が合わなかった訳だ。
モーツァルトを学ぶことは、20世紀最高のモーツァルトを指揮したと言われるペーター・マークに言わせると、「ヨーロッパを知ること。言葉を知ること。そして、Gusto、つまりセンスを学ぶこと」な訳だ。
モーツァルトの手紙を読むと、彼が最後にロンドンへ行くつもりで、英語で手紙を書いたりしているのが興味深い。モーツァルトの使うイタリア語はほぼ完璧だ。
だからこそ彼はドイツ語で初のオペラを書いたわけ。母国語でオペラを書くのは、彼の責任感がそうさせたのだ。
モーツァルトを指揮すること。
それはベートーヴェンやブラームスを指揮するのとは違う。
マークと2人、しのぎを削る思いでモーツァルトについて語り合ったのも、彼が伝えたい本質を私が若い感性で捉え直したかったからだ。
モーツァルトの世界は音ではない。音から生ずる現象なの。それは分かる人には分かる。
ワーグナーの舞台祝典劇「パルジファル」のテーマと同じ。純粋さ。面白がるココロが世界を救う。
知識やプライドが邪魔をして、物事の本質を読み取る眼が鈍る。そんな人に世界は救えないの。世界を救ったのは「純粋なる無知」だったワケ。
モーツァルトも同じ。技術の素晴らしさが見えるとき、実は音楽の本質を見ていない。
これは奏者も聴衆も同じこと。
モーツァルトを指揮するとは、聴きながら「何が起きるか」を待つこと。
何も起きなければ、具体策を講じて、あらたなトライをするしかない。
モーツァルトが「何か」を起こすとき、色が立ち上がる。愛について語れば桃色、水や空が見えると青。そこに感情が生まれる。
モーツァルトをシンプルと言う人がいるけれど、それはまだ彼の素晴らしさに出会えていないだけのこと。
今年最後の茶会、12月4日15時からは、遂にモーツァルトについて語ろうと思う。
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