ホンモノの自由と豊かさを謳歌していますか?
村中大祐です。
今日は「1に行動、2に行動。行動こそはすべての要」です。
■【クラシック音楽の処方箋】のビデオ20分(Vol.1&Vol.2)を
プレゼントしています。
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■編集後記
こんにちは。村中です。
日本の社会は昭和の時代、
終身雇用制が軸となって
会社が家族を守るように社員を守った時代がありました。
私もその恩恵に浴した世代です。
どういうことかと言うと…
私の父はトーメンという名で知られた商社で
実名は東洋綿花株式会社といいますが
経理や監査をしていました。
その父が47歳で他界した後
トーメンという会社は私たち親子を
私が成人するまで
きちんと面倒を看てくれたのです。
素晴らしい会社でした。
そう言う意味では感謝してもしきれない。
日本の会社の手厚い補償は
世界の会社の鏡だったのではないでしょうか。
それも平成に入ると
バブルが弾けて終身雇用そのものが
崩壊していく流れに見えますね。
皆が「身を守る」ために
個人で投資や起業を考える時代。
良し悪しはともかく
そこで本当の問題になるのは
いかにして「一歩足を踏み出すか?」ですね。
実は日本の企業だけではなく
日本の音楽業界自体も
「一歩足を踏み出す」ことについては
躊躇していますね。
それはどこも同じなのです。
一歩足を出すには勇気が要ります。
それがなかなか出ないのが人情です。
前回は自己投資についてお話しましたが
自己投資するのに
迷っていては時間が過ぎて行くだけです。
投資しなければ始まらないのです。
だから次へ進むために
経験を積んで
更に方向を見定めるためには
まずは自己投資していく。
私はそのために東京外語大に行き
ドイツ語の基礎を学んで
ウィーンに行きました。
でもドイツ語も音楽も
全く当時はできるうちに入りませんでした。
でも一歩前に足を出すことで
日本の落ちこぼれは
ウィーンで指揮者になったのです。
私が日本でデビューする半年ほど前のことです。
当時既にイタリアでコンクールに優勝して
師匠のペーター・マークから離れ
少しずつ自分でコンサートを指揮していたのですが
そんなある日のこと。
高齢の師匠から呼び出しがありました。
「ダイ、明日コセンツァに来い。」
もう80歳を超えた師匠。
新たにシューベルトのオペラを録音すると
電話で言った途端、例によって
電話をガチャっと切りました。
わたし、年寄りが非常に気が急くのは
これで勉強しましたね。
結局何の作品をやるのかは教えてくれません。
現地に行けばゆっくり譜読みも出来るのか、
と思って、取るものもとりあえず
イタリアの最南端、
レッジョ・カラブリアの中心地である
コセンツァに行きました。
この街はパレルモでオルランド市長が
マフィアを一掃した後
マフィアの牙城になった地域としても
知られています。
そんな場所で
もちろん何の約束も契約も
ましてやスケジュールも曲名も知らずに、
師匠が宿泊するホテルへと
空港からタクシーを走らせました。
言われた時間に少し遅れて劇場に到着。
行ってみるとオーケストラの音がします。
「ああ、別のプロダクションでもやっているのかな。」
そう思って劇場に入ると
マークがオーケストラを指揮していました。
既にシューベルトのオペラは
オーケストラだけの練習を終え
これから歌手との稽古に入るところでした。
「やばい。何も知らないぞ。」
私のなかで嫌な予感がしました。
「ひょっとして。。。。これは。」
マエストロが指定した朝11時の時刻に
5分ほど遅れて劇場入りしたわたしを見るなり
師匠のマークが
「ダイ、お前が振れ。」
予感はまさに的中したのです。
「曲は知らない。タイトルも知らない。
聴いたこともない曲をいきなり振れって?
あんた、何を言ってるかわかってんのか!」
そう怒鳴るわけにもいかず
師匠に言われたまま
私は指揮台に立ちました。
しょうがない。楽譜を見ると
4分の4拍子です。
メロディーが見えたので
アタマの中でちょこっと歌い
旋律線からテンポをイメージして
指揮を始めました。
もう初見の指揮はこれが最初で最後。
二度とやりたくなかった。
死ぬかと思いましたが
ありがたいことに3分ほどで
師匠が止めてくれたのです。
オーケストラからはブラボーの嵐。
どうやら師匠に試されたようでした。
私はそれから3日ほどコセンツァに滞在し
演出家や歌手などと
とりあえずは仕事をしていましたが
準備のない仕事ほど
もどかしく、意味のない時間が過ぎ去って
気持ち悪いものはありません。
師匠のマークには、相当文句を言いました。
私に曲目も教えず
無駄な時間とお金を使わせるために
ここに呼んだのか?と問い詰めました。
そしてホテルの支払いをすべて
師匠付けにして
ローマへと帰って行きました。
翌日の朝、ペーター・マークは
私に怒りの手紙を送りつけてきました。
私の家のファックスには
8枚の手書きのドイツ語のファックスが届き
そこにはこう書いてあったのです。
「お前は私の教え子だ。
教え子は師匠の言うことは聞くもんだ。
お金を払ってでもついてくるもんだ。
それを何だ。
お前は勝手に出て行きやがって。
何さまだと思ってる!
お前みたいな奴は勘当だ!」
という文章が3枚ほど。
そして途中から怒りが和らぎ
「俺はもう齢80だ。
お前のように若いヤツのチカラを借りたくはないが
借りないと仕事ができない。
だからお前にチャンスをくれてやっているのが
わからないのか。」
それが2枚ほど続きました。
そして最後の3枚でこう切り出したのです。
「次に私が仕事に行くのは
シチリアのパレルモの劇場だ。
テアトロ・マッシモはイタリアでも5本の指に入る劇場だ。
そこでの仕事ではお前にもきちんと
給料が出るようにしてやる。
大事な仕事だ。
テアトロ・マッシモは
25年間閉められていたが
新しく改装された劇場での仕事になる。
ヨハン・シュトラウスの【こうもり】が演目だ。
豪華キャストで30年ぶりに
私が行くのをみなが待っている。
お前のチカラが必要だから
必ず来い。」
ここまで言われりゃシャーナイですわ。
わたし、師匠のために
シチリアのパレルモに行ったんですね。
そうしたらもう、師匠は練習の指揮が
体調がすぐれずできないんです。
それでイタリアの大劇場での
私のご縁が始まったと言えます。
そしてしばらくして
プッチーニの「マノン・レスコー」の
チャンスが巡ってくると
その公演で大成功し、
たまたま日本との共同制作だったことから
東京の新国立劇場に招聘された、というわけです。
わたしがもし一歩足を出さずに
無償で師匠の手伝いをしなかったなら
私のキャリアは全く違ったものに
なっていたことでしょう。
ここで何より大事なのはマインドセットです。
「自己投資」と「行動」の2つを
きちんと自分に課すことができるなら
大抵のことはクリアできるはず。
この2つができないと
結局は何も得られないままに終わります。
私が外国語攻略法を
どんなに面白く書いたとしても
そこに書かれている簡単な一つを
実行しないなら
何も起こらないのです。
現実は変わりませんね。
自己投資にはお金がかかります。
それが例え10000円でも
出すのを渋る人がいるのは
私には信じがたいことです。
行動にもエネルギーが必要です。
例えば私にコメントを下さることで
あなたにとって知りたいことが
直接手に入るとすれば
それをしないで放っておくのは
ある意味時間の無駄。
実は「外国語攻略法」について
ご批判もたくさんくるかな?と
思っていたのですが
いらない心配をしていたようです。
価値観が変わるとか、目から鱗、と
言って下さる方もおられましたので
書いてよかった、としみじみ思っているところです。
もしあなたが「外国語攻略法」や
「クラシック音楽の処方箋」をまだ読んでないなら
10分もかからないので
是非時間をとって読んでみて下さい。
自己投資と行動は成功のカギですよ!
村中大祐
P.S. 連日感想をお寄せいただいていますので
今日は「行動をして下さった方」の声を
すこしここでご紹介してみようと思います。
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◆Sさんから。
こんにちは。いつもメルマガを楽しく読ませていただいております。
音楽が大好きで、村中先生の指揮をされた音源を聞くと自由であたたかい
気持ちであふれます。音楽が好きなのはもちろんなのですが、語学もとても
大好きで、言葉の響きや発音、日本語を発するときとは違う筋肉の使い方など
興味深いです。
音楽も言語も美しく、必要であるものであればそれはとても美しいと感じています。
さて、【外国語攻略法①】を聞かせていただいたのですが、続きがとても気になります!
ぜひ続きをお聞かせいただければと思い、ご連絡いたしました。
聴覚をここちよく刺激するものはなんでも好きです(例えば焚き火のはぜる音など)。
心に響く音楽は、とても大切な宝のように感じます!
いつもあたたかで解放されるようなすてきな音をありがとうございます。
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◆Hさんから。
【「無手勝流」外国語攻略法】
あはは、そうそう、そうなのよー!と
面白く拝読いたしました。
巻き舌と口笛が未だにできない私ですが、
(だからスペイン語は相当難儀)
言葉は発音とその言語のリズムが肝心だと
思います。つくづく。
(中略)
外国語(当時はイコール英語)の音を初めて意識したのは
NHKの連続ドラマにテーマ曲として使われていた
ビートルズのYesterdayを耳にしたときでした。
“Oh I believe in yesterday” のフレーズが、
すっと全身に入り込んできた感じ。
(中略)
時は流れて大学2年生の時。
副専攻で、日本語教員養成コースというのをとったのですが
コースの授業で、私の日本語発音アクセントやイントネーションが
いわゆる「標準」ではないものがある、と初めて気づきました。
例えば野菜のニラ。坂道の「坂」。
標準語のアクセントと、あらま、そういえば逆になってる!
父は大阪、母は鳥取の出身なので
家庭内会話は一見、標準語のようでいて、
単語レベルで関西アクセントになっていたのでした。
どうりで、八百屋さんで「ニラください」というと、
「えーと、ニラですね?」と毎度毎度訊かれる訳だ!
疑問が氷解した20歳の私…。
その後、大学新卒で入った会社の同期は神戸採用。
一年目は東西同期が一緒に過ごすことが多く、
阪神エリアルーツの同期が喋る関西弁のグラデーションを
聴くのが面白かったの何のって!
バイリンガルはエエなぁ、と思ったものです。
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◆Mさんから。
動画とPDFを拝見させていただきました。
パオロさんとの話、映画チャンスのお話
どちらも興味深いものでした。
特にパオロさんの話はきちんと人の話に耳を傾けていらっしゃるからこそ
村中さんが気づきとして汲み上げることができ、
私たちにお話ししてくださったと思うとありがたいことだなと思います。
(中略)
「外国語攻略法」も大変興味深く拝見しました。
私は両親標準語東京生まれで
私自身も東京生まれですが
その後鹿児島に20年ほどいたので
難解といわれる鹿児島弁を話すことができます
(今の大河ドラマ西郷どんにちょっとダメ出しできるくらいは話せます(笑)
私も大人になってから語学を始め、
そうすると自分には「日本的なものがない」とわかり
日本文化を改めて見直し着付けの免状をとりました。
なので、村中さんのお茶のお話もとても共感できました。
私の学ぶ語学は中国語なので「大地の歌」は好きで
いろんなバージョンを聴いてきました、
村中さんの「大地の歌」を是非聴いてみたいと思います。
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