安吾を知る人は多いと思う。
僕は安吾を知らずに20歳ごろまで過ごしていたが
当時付き合っていた女性が慶応の文学部出身で
広告会社に勤める人だったからか
しきりに安吾を勧められたので読んでみた。
もうかれこれ数十年前の話だが、その時の感覚は
今でも体に残っている。
別に読み返そうとは思わないが
「日本というもの」の所在がわかったような
そんな気がしたものだ。
怪奇的なもの。
日本人は昔から夏になると
お墓で肝試しをしたものだが
そんなことをやるなんて、
今では想像もつかなくなった。
時代は変わったのだ。
でも本質的に変わらないものは
日本の自然。
そして花見の桜に、その下で遊興するひとびとだ。
でも彼らが安吾を知っている確率はどのくらいだろうか。
もし読んでいたなら
ひょっとして花見するに留まり
桜の木の下なんぞで酒を酌み交わすことはしないのではないか。
その位私たちの日本に対する感覚も希薄になったのでは?
日本って何か。
そういう問いに真向から答えてくれるのは
ひょっとしたら安吾ではないか。
桜と生命。
儚い桜のいのちを愛でる心とは。
いつもこの時期になると思うことだ。
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