フルトヴェングラーについて、少し研究を始めた。
というのも、師匠の師匠だからと言うわけではない。
私は指揮を始めた当初、トスカニーニからの影響が最初は強かった。非常に共感したからだ。
それに、フルトヴェングラーは分かりにくかった。(笑)
確かに、音楽好きの「例の時代の感覚」で音楽を聴くなら、
(ここで言っておくが、私は大の音楽ファンで、FMをエアチェックしてレコードやカセットを収集するマニアだ。)
フルトヴェングラーの音楽には、沢山素敵な部分があって、その部分だけを聴くなら、それはそれで素晴らしいが、部分と全体が、正直「音楽好き」の耳だと、繋がらない。
これを専門家の耳で聴き始めると、後継と言われたチェリビダッケとは真っ向から違ってしまう。
その意味が長い期間、よくわからないでいたのだ。
でも、実は今朝、理解した。(笑)
イタリアが全てを教えてくれた。
多分、何が何だか、あなたはわからないだろうが。(笑)
これは正真正銘、本当の話だ。
Nell’Arte del dirigere afferma che soltanto l’intima comprensione del melos da’ l’esatto ritmo, i due elementi sono inseparabili e l’uno e’ condizione assoluta dell’altro, e’ dovere del direttore cercare il melos, cioe’ l’animo e l’intimo spirito di un pezzo attraverso l’attento studio della partitura per comprendere il giusto tempo.
これ、イタリア語が分かると早いのだけれど、師匠のマークがモーツァルトを通じて、私に見せてくれた世界観だった。
これをやっとこさ、30年くらいかけて!フルトヴェングラーの著作の中に見つけた。(笑)時間かかり過ぎ。
このところ、師匠のペーター・マークとの会話をよく思い出す。彼との会話は全てが哲学だった。
訳しとくわ。
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指揮をすることの秘密があるとするなら、それはこうだ。
メロスを体内に宿すほどに理解すること。
そこからリズムを生み出すのだ。
メロスとリズムとは切っても切り離せない代物だからだ。
この2つの要素は保管し合って完全な一つなのだ。
指揮者の仕事とは、このメロスを探り当てることにある。
つまりだな。
指揮者は楽譜の研究を緻密に行う中で、音楽のなかに自分にとって一番「親密な精神」、まるで魂のようなものを探り当て、そこから「的確なテンポ(スピード)」を理解するわけだが、その肝がメロス、というわけだ。
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これがイタリア語的訳なるものだ。
メロスとはエロスに近いので、あえてメロスにしたけれど、
要するにメロディーのこと。
メロディーが的確なテンポを決めるわけ。
長くなったので、
ここからは次回。
むーらん
追伸:
指揮をするのが重要なのではない。
物事の本質を理解することが重要なのだ。
しかしながら、物事の本質を理解したとしても
理解だけでは意味がない。
理解した本質を、現場で体現できなければ、話にならない。
参考文献 Wilhelm Furtwängler in Italia by Stefano Tonelli
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