もう昨年の記事だけど。守破離について再掲しとくね。

守破離についてなんだけど。

 

最初にあるものは

自分のエネルギーなの。

 

それを、自分の魂と呼んでもいいし

自分の意識と呼ぶのでもいい。

 

なにか、分からないけれど

これが自分だ、と感じる感覚かな。

 

小さい頃から

それがあるか、ないか。

 

周りから教わることは

中を見ないで

外の世界ばかり見ろ、って言われる。

 

だから、殆どの人は

中の世界、つまり

自分の意識について

 

注意深く観察するよりも

人がどう生きているか?とか

あの人はどうやって成功したか?とか

 

そんな、役に立たないことばかり

見て育つのよ。

 

もし、自分のエネルギーが

外にあるものと合わないなら?

 

それが、多少は類似性があるとしても

そのエネルギーが

実は成功者よりも遥かに優れ

遥かに個性的なものだとしたなら?

 

基本的に、そういった「大それた」

感覚は誰も持てないのが

まあ、普通と言えば普通だな。

 

でも、そうやって

自分を社会が言うように

他人の枠組みにねじ込んで

 

自分をまるで

粘土のように

どんな鋳型にでも合うように生きると

 

「これがピカソもやった

守破離だ」と言うわけよ。

 

レオナルドもこうやった、とか。

 

じゃあ、本当にそうだったかどうか

検証したかい?っていうことね。

 

私は自分の感覚を信じるから

感覚が教えてくれるけど

 

もう東北大震災以降

実は、価値観が崩れ始めて

守破離ではどうしようもない

地殻変動が起きているんだと思う。

 

それは、従来の価値観が

見事に崩れ去ろうとしている

その予兆がいろんなところで

既に見え隠れしていたんだと思う。

 

それに。。。

 

守破離って、本当は

自分を他人の鋳型に

先ずははめ込んでみることじゃない。

 

最初に自分のチカラを見定めるんだよ。

 

それなくして

守破離はないんだけど

 

みんな、型から入るのが

守破離だと勘違いしてる。

 

守破離の守は

型を守ると思ってんだ。きっと。

 

型って教わらないの。

見抜くものなの。

 

そこが根本的に違う。

 

型を見抜くのは

自分のチカラを信じないと

見抜けない。

 

そこが決定的な誤解の元だと

私は思っているんだけどね。

 

だから、マドリードの

プラドに行ったらいいの。

 

そうするとヴェラスケスの

でっかい絵を

ピカソが10代の半ばから

ずーーーーっとデッサンして

 

模写していても

別にヴェラスケスに似てないと

私は感じたけどね。

 

ピカソは最初から

ピカソだったんだよ。

 

ってことは

ピカソは自分のチカラに

最初から気付いていたんだよね。

 

そこが、決定的に違うんだよ。

 

Muran

 

だいぶ書いたけど

まあ、このくらいにしとくね。

 

みんな、天才なのよ。

みんな。みんな、だよ。

みんな。天才なの!

 

チカラに気付かないから、分からないだけなのよ!

 

自分を観るの。

それを教えないのは、教育じゃないの。

 

因みに私は、☟のようにひんがら目でした。

今で言う斜視。京都のこれは十条あたりかな。

 

あ、大事なこと言い忘れたけど

守破離って、自分を知らないで

そのまま型に入ると

型に入ったまんま、「絶対に」出られないよ。

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