私が「自分の出島」を創ろうと思ったのは
もう15年前のことです。
ヨコハマでないと聴けない音楽を創ろうと
そう考えて始めた横浜での活動。
それが私の「出島」でした。
最初はオペラでしたが
それが結果的にはオーケストラを作ることとなり
今ではそのオーケストラを
自分で運営をしています。
果たしてそれが正しいのかどうか。
最初は未知数でしたが
やって行く中で
答えを一つ一つ得て来ました。
実績を作れ。
多くの人に、当時
この言葉を言われたような気がします。
実績とは何なのか?
正直、最初はわかりませんでした。
逆に私は
海外で少しずつ実績を積み
日本に戻ってきました。
だから最初はそれで良いと
勝手に思っていたのです。
でもそれではダメだと分かりました。
日本には多くの指揮者が居ますから。
私がどこで何をしようと
それはあまり重要ではないことが
痛いほどわかったのです。
でも日本で実績を積むということの意味が
全く分からなかった。
どうしたらいいのか。
マネージャーも教えてくれませんでした。
でも他の人と同じ道を歩くのは
あまり得策ではない、と
常に思っていました。
何故なら、私には
私にしかできないことがある。
そう感じて音楽を始めたからです。
だから音楽家になるために
敢えて東京外国語大学を選び
ウィーンに乗り込んだわけです。(笑)
まあ、号令かけて指揮者の世界一の登竜門に
入れるとは思ってもいませんでしたけどね。(笑)
私は昔から
それこそ小さい頃から
日本の音楽家の
「型」みたいなものが
見えていました。
それは西洋のものとは
随分と違うように思ったし
あまり自然な感じはしなかったのです。
そう強く思っていて外国に出て行きました。
外国で何とか本質的なところを
理解したかったのです。
だから言葉を先に学んで正解でした。
実は10代の半ばから
そういう芸術へのアプローチの仕方が
正しいと密かに思っていました。
自分は違う、というのではなく
日本人として別の切り口が
余りにも少ない。
子供心に、そう感じていたのですね。
それともう一つ。
日本人はこれほどまでに優秀なのに
なぜ「型」にはまってしまうのか。
型にはまると
それに頼ってしまうので
出られなくなるに決まっています。
最初は皆、違いが分かる男女ばかりなんです。
でも社会が常に「型」を要求し始めますから。
それが社会のニーズということになると
やがて自分が変わりたくても
「型から入って型から出たくても」
変われなくなるんです。
ここが守破離の盲点です。
みんな、猫も杓子も
守破離が正しいと信じ切っています。
でも結局は型を求めると、
そこから出られなくしてしまう。
これ、なんだかわかりますか?
これも実は「洗脳」なんですよね。
時代が変わるにしたがって
ニーズの幅が広がってきていればいいです。
でもそうじゃないとしたら?
そこで考えたのが
出島をつくる
という発想でした。
私はヨーロッパで仕入れたネタを
日本でやってみて
袋叩きにあったので(笑)
やり方を変えてみたんです。
自分のやり方でやらないと
私の場合、チカラが出ないもので(笑)。
ど真ん中に直球、投げたいじゃないですか。
誰でもおんなじですよね。(笑)
そうしないと自分のチカラが出ない人、
いると思うんですね。
私だけじゃないと思うんです。
そう言う人は、「出島」をつくるべきです。
私は人に気兼ねしたら
チカラが出せないタイプです。
でも型にこだわるひとたちに
囲まれていると
私は自分のエネルギーで
彼らが大切にしている何かを
ぶち壊しかねないんですよね。
そうすると
オーケストラは
私のこと、イヤだと思うんです。
私もそういうところに居るのは
イヤなんですね。(笑)
お互いにプラスにならない。
そう感じていました。
だから出島を作ったんですね。
出島なら、自分の考えにあった世界ができます。
そこに近づいて来てくれる人は
私に少なからず賛同するために
あるいは協力するために
その場に近づくという
「行動」を起こしてくれます。
それは一つのサインなんですが
それなりのエネルギーを伴います。
既に「雇われ」ではない感覚があります。
Entrepreneurship
つまり「起業家精神」と近いものがあるわけです。
そういう人たちに集まってもらい
自分の直球を
投げられるようにすればいいんです。
そういう「場」を作る。
そう気が付いたんですね。
今の私の場には特別な音があります。
それを私はグローバル・スタンダードと
呼んでいます。
その基礎になっているのは
音楽のなかに
深く潜んでいる哲学です。
その哲学を少しずつ
あなたにも理解してもらいたい。
この理念を理解することは
世界を理解することになると思っています。
今日も素敵な一日を。
村中大祐
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