「国というものを博打の賭けの対象にするひとがいました。そういう滑稽な意味での勇ましい人間ほど愛国者を気取っていた。そういうことがパターンになっていたのではないか。魔法の国の、魔法使いに魔法をかけられてしまったひとびとの心理だったのではないか。私は長年、この魔法の森の謎を解く鍵をつくりたいと考えてきました。」
「わたしは学校が嫌いな少年でした。。。世の中に学校がなければいいと思っていましたし、図書館と本屋があれば人間はそれでいいんだと思っていました。。。。そして、だんだん学校で社会訓練を受けるうちに、どういうわけだか中国人と朝鮮人が好きになりました。。。」
「彼らは非常に人間というものを感じさせてくれた。私に感じさせてくれた存在として恩人といってもいいのですが、その中国と戦争をするという。やがて世界と戦争をするようになった。私はなお学校に行っていましたが日本が嫌いだと思いましたね。嫌いといっても、非常に好きだということの裏返しなんです。こういう感情を西洋人はうまく言い表します。アンビバレンスという便利な言葉があります。そういう気持ちでした。」
「いったい日本とは何だろうということを、最初に考えさせられたのは、ノモンハン事件でした。昭和14年(1939)、私が中学の時のことでした。こんなばかな戦争をする国は、世界中にもないと思うのです。」
「いったいこういうばかなことをやる国はなんなのだろうということが、日本とは何か、日本人とは何か、ということの最初の疑問になりました。」
僕のなかで避けてきた戦争の音。
先日ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲をやってから
頭のなかで鳴りやまなくなった音がある。
その第3楽章の響き。
その嘆き・悲しみ
不条理の引き起こす怒りが
ショスタコーヴィチの音となって
この司馬遼太郎の言葉から聴こえてきた。
「私は長年、この魔法の謎を解く鍵をつくりたいと考えてきました。手作りの鍵で、この魔法の森を開けてみたいと思ってきたのです。どうも手作りの鍵は40年たってもできたのか、できていないのかとにかくその鍵を合わせて、ノモンハンについて書きたかったのですけれども。あんなばかな戦争をやった人間が不思議でならないのです。ノモンハンではよく戦いました。日本軍の死傷率は75パーセントにものぼりました。ふつうヨーロッパのルールでは、30パーセントの死傷者が出れば、将軍は上の命令なくして退却してもいいようですね。ちゃんとした常識のある国家運営者の考えることでは全くありません。そういう国にわれわれは生まれました。」
「昭和20年代の私は新聞記者でしたが、こう思っていました。この国は結局アメリカに占領される以前に、日本の軍部に支配、占領されていたのだろうと。“魔法の森の占領者”より、より柔らかい占領者が来て大きな文明を持ってきた。何か世の中が開けたような、太陽が出てきたような、暖かくなったような感じを持った。」
司馬さんがなぜかくも多くの歴史小説をかかなければならなかったのか。
われわれへのメッセージが何なのか。
そんなことを思わせる本かもしれません。
「昭和」という国家 (NHKブックス)
作者: 司馬 遼太郎
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