【直感と直観の違い】

こんにちは。

指揮者の村中大祐です。

 

今日も「日本の落ちこぼれが

世界に行って見つけた宝物」について

お話しようと思います。

 

早速ですが

あなたは「直感」というものを

どの位信用していますか?

 

以前「直感」について

このメルマガでお伝えしたときに

ある方から質問がありました。

 

その方はこうおっしゃるのです。

 

「私は直感に従って

失敗したことがあるから

もう直感に従うのはやめました。

 

もう少し現実的に分析したうえで

行動に移すようにしようと

思っています。

 

村中さんのおっしゃることは

かつて実際にやってみましたが

直感に頼ることは

わたしには

とても危険だと思えます。」

 

そのようなお話でした。

 

 

 

この方の言い分は

充分に理解できるのですが

 

多分私が説明がへたくそなのです。(笑)

 

 

私の場合は直感ではなく

「直観」と使います。

 

直感も直観も

同じと言えば同じですが

ひとつだけ、違うことがあります。

 

直観は「観る」わけです。

 

あの観世音菩薩の「観る」ですね。

 

本質を見極める、

という意味になるでしょうか。

 

「直感」の方を大辞林で調べると

 

「推理・考察など論理的思考によらず、

感覚的に物事の真相を

瞬時に感じとること。」

 

なんですね。

瞬時に真相を感じ取る。

 

ではここでひとつ質問です。

 

あなたは「感じ」と「考え」を

区別することって

簡単にできますか?

 

これって実は

結構難しい作業なんですね。

 

リン・A・ロビンソン著

(本田健訳・解説)の著作

 

「人生のすべてを決める鋭い直感力」

(三笠書房)

 

によれば

 

「リーダーシップ、経営などのテーマで

20冊以上ものベストセラーを持つ作家

ウォーレン・ベニス(経営学者)は

直感を内なる声、と呼んでいて、

リーダーが学ぶべきこととして、

その声に耳を傾け、信じることを挙げている。」

 

そう書かれているんですね。

 

「内なる声に耳を傾け、それを信じる」

 

まさにマインドフルネスが流行りの昨今では

こういった話が都合が良いのですが。。。

 

 

実は

どれが「内なる声」か分からない。

或いは

沢山「内なる声」があって、

どれを選択したらいいか分からない。

 

という場合が多いのではないですか?

 

卑近な例で言うなら

レストランのメニューが多すぎると

どれを選んでよいか分からない。

 

「今日のメニューでは

かつ丼が美味そうだったが

彼女が頼んだメンチカツが

量が多くて、腹いっぱいになる。

ああ、あっちにしておけばよかった。」

 

これは選択の失敗ですね。

 

この時に「メンチカツ」という言葉が

まるで天啓のように現れても

これは直感とは言えませんが。(笑)

 

私の考えでは

直感というのは普通

状況と呼応して

パッと出てくるものだと思います。

 

でも選ぶのに躊躇したりする状況では

もう直感が働かず

「内なる声」は聞こえない。

 

私の場合は

何かを選択する場合には

直感はあまり使えませんし

「内なる声」も聞こえません。

 

むしろ選んだ後の「行動の中」で

直感が生まれて

自分の中の羅針盤や方向指示器が

作動するようなことが多いみたいです。

 

選択した後には必ず

行動しますよね。

 

そうすると

「選んで失敗したな」

というのがあるんです。

 

例えば上記の場合なら

彼女のメンチカツを見ながら

かつ丼を食べている時に

 

「ああ、そう言えば

さっきこの店の入り口が

何だか殺風景な気がしたんだ。

 

彼女には少し無理して

ご馳走しようと思ったから

値が張るこの店にしたんだけど

 

やっぱりこの店、あまり美味くないな。

こんな店に来るんじゃなかった。」

 

これはちゃんとした「違和感」です。

違和感があったのに

その店に入ったわけです。

 

これは比較的はっきりとしていて

強い感覚です。

 

こんな感覚でさえも

人間ってのは信じてやれず、

自分の感覚を否定しながら

思い直しをしながら

毎日を生きて行きます。

 

つまりは「アタマで考え」て

「感じた」ことを調整をするんです。

 

「さっき感じたことは

あれは多分気のせいだ。

 

これを失ったら俺は

絶対損をするに違いない。

 

だから多少の違和感には目をつぶって

我慢すれば多分大丈夫だ。」

 

私はそうやって

生きていた時期がありました。

 

私は競争の激しい場所で

戦いを強いられると

弱っちいもんですから

大体音を上げてしまいます。

 

私が「落ちこぼれ」だというのは

本当の話でして

幼稚園から小学校、

果ては大学まで

 

常に学校という場所では

うまくいかないのです。

 

つまり学校という場所自体が

そもそも自分の「学ぶ方法」と

方法論がまったく合わなくて

 

私自身そういった場では

エネルギーが出せないんですね。

 

私はひとつところに集中しないと

なかなかチカラが出せません。

 

いくつもの項目を

同時に処理しようとすると

オーバーヒートするタイプです。

 

でも逆に「集中」させると

何とかなるんです。

 

でも学校という場では

まんべんなくできる人が

評価される場所です。

 

それはまったくもって

自分が苦手な他人の「土俵」です。

 

そんな価値基準の場所では

自分のチカラを出し切れないんですね。

私には自分に合った「土俵」が必要です。

 

つまりそれは

私がした「選択の失敗」なのです。

子供の頃から

そういった「自分に合った選択」をしていくこと。

 

それが海外で通用するかどうかの

分かれ目となります。

 

日本では周りの人間は

多くの場合、皆で一緒に

まったく同じ方向へ進もうとします。

 

その「場」をひとつの価値観が

支配するんですね。

 

そうなると皆が段々に

ひとつの価値観に

洗脳されていくわけです。

 

その集団の中に居れば

最初は自由だった考えの人でも

 

そのたった一つの価値を

手放すのが

難しくなっていくのです。

 

実は違和感が感じられた時点で

「パッと手放せばいい」のです。

 

その訓練をしていくと

段々本当のことが

観えるようになる。

 

 

「ああ、自分はこれでいい」という

本当の気持ちよい感覚。

 

無理をしなくても

自分のチカラを十全に発揮できる場では

そういう感覚が生まれます。

 

私はそれを「直観」と呼んでいます。

 

正しい方向に足を出している確信ですね。

 

ある程度

手放すことを訓練した後に

私の言う「直観」が生まれるのです。

 

私はそれを10代から

常に訓練してきましたが

 

最初はやはり

不安で仕方がなかったです。

 

自分の違和感を信じてやることが

なかなかできずに

しどろもどろになる。

 

「本当に大丈夫だろうか?

俺が間違っているんじゃないだろうか?

そうだ。俺が間違っているに違いない。

 

あの「違和感」は大したことはない。

 

皆と同じでないと不安だから

今はこのままそっとしておこう。」

 

私もそうやって生きてきました。

 

でも結局は「偽物」の

ちっちゃいアタマで考えた処世術なんてのは

パッと手放すしかないんです。

 

でもそれには訓練が必要です。

 

つまり「手放す」訓練です。

 

そうしたら直感が「直観」になる。

 

自分の「違和感」が示すところは

一番信頼できる。

それは内なる声のなかでも

一番強いからです。

 

「なんか違うな」

 

これこそまさに

「内なる声」の仕業です。

 

人間として生まれ落ちた日から

みな唯一無二の存在。

 

あなただって、それについて

反対はけっしてしませんよね。

 

それじゃあ、あなたの行動は

唯一無二の行動になっていますか?

 

世の中の仕組みというものは

大抵は私たちを

 

「コントロールする」ために

 

作られています。

 

でもその中で

 

「自由で豊かに」

 

生きるためには

まず自分の唯一の方向指示器である

 

「違和感」に従う

 

ことが必要です。

 

他の人達と同じ選択をとってみたとき

自分のなかで微妙な違和感が

生まれるはずなんです。

 

別にいつも人と違う必要もないんですけどね。

 

ただ、「あれ、変だぞ」と言うのが来たら

これは「止まれ」の赤信号ではなく

 

自分の感覚を信じてやる

「青信号」なのです。

 

「セレンディピティ」という言葉があります。

この言葉も実は同じ状況を

語る言葉です。

 

「もともと探していなかった発見」

 

という説明が多いですが

 

「失敗したとしても

そこから見落としをせずに

学び取ることができれば

成功に結び付く」

 

こっちが本当のセレンディピティです。

 

(「自然科学におけるセレンディピティ」

:Wkipediaからの引用)

 

周囲の人がするような選択を

自分がしていたとしても

 

そこから「違和感」を感じ取り

 

当初向かっていたものとは

別の選択をするようになる。

 

その「違和感」の部分を

突き詰めていったからこそ

 

「失敗が成功に変わる」のです。

 

もし「違和感」の醸し出す

「あれ?何か変だぞ!」

というのがなければ

発見はないわけです。

 

もし「何か変だぞ!」があれば

ノーベル賞も不可能ではないでしょう。(笑)

 

次回は私の実体験をお伝えしますね。

 

それでは今日も素敵な一日を!

横浜の自宅から

村中大祐

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