師弟の怪

僕の指揮の師匠はペーター・マークだが、彼から指揮を教わったことはない。

彼のアシスタントとして数多くの歌劇場でプロダクションに参加したが、一度だって指揮についてアドヴァイスを受けたことはなかった。むしろ音楽そのものについての話をすることが、我々の師弟関係だったと思う。

一見おかしな話に思われるかもしれないが、指揮とはそういうものなのではないだろうか。その指揮者の独自の音が立ち上がるかどうか。それが勝負なだけに、仮に何かを教わったとしても、それははかないものだ。自分自身で勝ち取ったものではないからだ。

教わりたいなら、ただ見て盗むしかない。でもそれとて愚策かもしれないのだ。

師と仰ぐ人物から共感を得ること。アフィニテイを感じること。そこから何か化学反応が生まれる。一種の恋愛感情のつよいやつ。

それさえあれば、別に振り方なんてどうでもいい。ある特殊な二人だけの世界を共有できるのだ。それこそが、師と弟子の関係。Maestro と discepolo(pupillo)の関係ではないか。

多くの場合、マエストロからの影響は、共に過ごす時間の中にある。そこで何が話されるのか?

Maestro と pupilloの間に交わされる会話は、映画「薔薇の名前」に出てくるマスターと弟子の関係のような問答となっていく。(禅問答のようなものなのだ。)

僕もよくトレヴィーゾの運河沿いをマークと歩いて、多くの時間を共に過ごしたが、中でも彼の師であるフルトヴェングラーの話がいつも話題の中心だった。

彼のフルトヴェングラーの印象は、「目」。目こそがフルトヴェングラーの大きな武器だったと語っていた。

イタリアをこよなく愛し、最後の安住の地はヴェローナだったペーター・マークだが、どうやらイタリア熱はフルトヴェングラーからのものらしい。フルトヴェングラーは父親が考古学者だったせいで、幼少期をローマですごしているのだ。

マークはフルトヴェングラーの薫陶を受け、彼の勧めで指揮者に転向した。それはフルトヴェングラーのソリストとしてベートーヴェンの協奏曲を共演したときに遡る。「きみのピアノは指揮者向きだ」という話から、指揮者の道を勧められたという。

マークはピアノの師でもあるコルトーの指揮で、パリでラフマニノフの協奏曲などを演奏していたそうだから、相当ピアノも素晴らしかったのだろう。でもその彼に指揮者を勧めたフルトヴェングラーは、やはり先見の明があったと言えるのかもしれない。

後にデユッセルドルフ歌劇場の指揮者に就任した彼の楽屋をフルトヴェングラーが訪ね、フィガロを聴いた感想として「どうしたらそのようにモーツアルトを指揮できるのか?」と語ったという。それだけマークのモーツアルトは素晴らしかったのだ。

マークはフルトヴェングラー以外に、カール・シューリヒトから多くを学んだと、よく話してくれていた。彼の病床に、よく見舞いに行き、亡くなるまで話しこんでいたという。マークによれば、モーツアルトの解釈はシューリヒトから影響を受けているということだった。でも僕にはその影響はあまり感じられない。マークのモーツアルトは彼独自のものだ。

今この文章を書いていて、ひとつ思い出したことがある。

1988年、ちょうど東京外国語大学2年のときにウイーン夏期音楽セミナーで、ヨーゼフ・デイヒラー氏にピアノを習いにいったことがある。

その折、休日にイタリア人の女の子とデートを楽しんでいて、Hofburg(ホーフブルク)の中庭で、かの有名なルーマニア出身の大指揮者、セルジュ・チェリビダッケが日向ぼっこをしているのに出くわしたのだ。

当時は片言のドイツ語と英語しか話せず、でも相手がチェリビダッケとわかって、こんなチャンスはない、と確信した。そしてすぐさま「Guten Tag」。

(当時Gruess Gottは恥ずかしくて使えなかった。。。グーテン・タークのほうがカッコいいと思っていたのだ。)

で。。でも、その後のドイツ語が続かない。今でも覚えているが、

「Are you Einstein?」

と聞いたのをしっかりと覚えている。

もちろんアインシュタインなどいるわけがない。でもチェリビダッケに「あなたチェリビダッケさんですよね?」と聞いても相手にされないような気がした。

直観が働いたのだろう。咄嗟に「アインシュタイン」と口からついて出たのだ。

面食らったのはチェリのほうだ。大指揮者チェリに向かっては、当然ながら誰でも「チェリビダッケさん」あるいは「マエストロ」と聞いてくるのが常識のはず。それを「アインシュタイン」である。

しめしめ。優に半時間以上を独占したのはいいが、何をいっているのか?さっぱりわからない禅問答が展開された。。。

やはりヨーロッパ人は東洋人以上に禅問答がお好きなようだ。

今でも覚えているのは「俺がアインシュタインだったら、お前は誰だ?」というチェリの問いかけだ。

それに対して自分の名前をなかば正直に答えたものだから、半分怒り、半分馬鹿にしたような目つきのチェリだったと記憶する。

「俺はシェイクスピアだ」とでも言えば満足だったのだろうか。

禅問答の第一段階で、既に道を踏み外したのは明らかだった。

でも半時間もくだらない押し問答に付き合ってくれる大指揮者の忍耐力には感嘆するほかなかった。。。

その日は市民公園で財布を落とすおまけ付き。

チェリの祟りか。。。

その後財布は無事に交番に届いて被害はなかったものの、今から考えれば、これもまた一種の化学反応のような気がしてならない。つまりアフィニテイの欠如だ。

チェリの演奏は本当に好きなのだが、一種の恋愛に似た感情というまでには至らなかったことが原因だろうか。

天国のアインシュタインさんへ。

その後、チェリさんとお会いになられましたか?

彼がおっしゃっていた変な日本人はこの私です。

お名前を乱用いたしましたこと、平にご容赦ください。

でもチェリとの半時間、今となってはいい思い出になりました。

お蔭でご縁をいただけましたこと、感謝しています。。。(笑)

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