私は昔から自分に数多くの問題があることを、かなりハッキリと認識していました。そして、それを克服することこそが、実は幸せへの道でした。
ですから理論的には、自分の問題を認識出来ない人は、残念ですが、本当の幸せをまだ感じられていない、ということになります。
これから書くことは、あくまで私の勝手な意見ですから、あまり気にしないでくださいね。
例えば私の顔は、右と左がズレてます。歪んでいますが、それに気づく方や気づかない方もおられます。自分を受け入れるプロセスの中で、私はこの歪み自体の価値や意味に気付きました。鏡に映る自分自身の姿の、分かりやすい例と言えますね。
目はコンタクトレンズを外すとほとんど見えません。(-14.5のレンズを使っています。)ビックリするほど目が悪く、子供の頃は斜視。でもそれも外的な問題です。
目が見えづらいから耳で判断する能力が発展しましたから、障害とは才能の起爆剤となる一つの例でもありますね。
実は私には、もっと内的な問題が山のように存在しました。小さい頃から人と上手くコミュニケーションを取ることができなかったのです。
小さい頃から物の見方が変わっていましたから、幼稚園に行くと、周りの子供と話が合わず、行く先々でイジメに会ったようです。
自家中毒でしたから、精神的に受け入れてもらえる場所がない、と感じていたのでしょう。全くバチ当たりなヤツでしたね。でも確かに私は複雑です。いろいろな障害、つまり才能がありましたから、簡単に分かられても実は嫌なんですね。^_^
不思議なことに、兄弟がいない1人っ子でしたから、イジメの存在自体に気がつかず、いつの間にかイジメ相手と仲良しになっておりました。
その間は我慢しながら、なんで自分が受け入れられないか?を考える、そんな毎日でした。答えを見つけられず、オトナになりました。
小さい頃はまだ良かったのですが、オトナになってヨーロッパから帰国すると日本中で一斉にイジメに会ったため(コレにはさすがに気が付きました)、原因を考えているうちに、また例のごとく、いつの間にか仲間が出来ました。
極めて運の良い人生だと思います。助けてくれた仲間には本当に感謝しています。
私が気が付くために起きた様々なこう言った問題も、実は自分の責任。自身の本質を見抜くことができず、目の前で天から与えられた試練という形で、毎回同じ練習問題を解けずに、繰り返していたのです。
よく考えて見ると、皆が不完全で「変態」なんです。
だから互いにゴツゴツした部分を上手く「あるがまま」に受け入れる技術や、違いをそのまま人生に活かす考え方が必要だと思います。
ゴツゴツした部分は社会にいわゆる「空きスペース」を生み出します。それは埋めちゃいけないと思います。日本社会はこれを埋めちゃうんだと思います。ヨーロッパは空きスペースを確保することが、社会の基本感覚にあるように思います。これ、大切です。
私は自分の才能を病気だと思うことが多く、引きこもりのエネルギーとは紙一重であることに気づいています。
エネルギー的には、多くの才能とは極めて強い衝動であり、(これはフロイトの受け売りじゃなく、実際の感覚から得た経験値です。)「破壊的」なものから「Pacificなもの」、「キラキラ」などいろいろでありますが、誰もが自分では気づいていないように思います。
そういった個々人の障害(つまり才能)に気づかせてくれるのが、社会であり、人生であろうと思います。
周りは全てが自分の考えた思いの鏡であり、つまり全ての存在が一つに繋がりを持っているワケです。
更に言うなら、才能(障害)とは磨く(克服する)ものです。
自分の才能に気づいて見ると、それは苦しいんです。発展を余儀なくされ、努力を強いられます。でも超えられるから与えられるのが、才能なのです。
もちろん才能には社会的な責任が生じます。自分だけのものではなく、「みんなのもの」だからです。
つまり障害には社会的責任が伴うのです。
繰り返しますが、障害とは才能なのです。「障害を持って生まれて来た彼ら」の中にある凝縮した、いやもっと言うなら凝固した才能は、温めて解凍してから、慎重に扱い育てる必要があります。
何故なら「障害を持って生まれて来た彼ら」は、実は私たちの宝ものなのです。
彼らは私たちが気づいていない世界にアクセス出来ます。知らない世界を、彼らを通じて見ることになります。
でも誤解しないでください。これを読んでいるあなたが、実はその「彼ら」であり障害者なのです。
自分の持つ問題や障害を克服するために、つまり自分の持つ才能を発現するために、この世に生まれてきたのです。
それは外的なものもあれば、内的な障害、隠されたものもあるでしょう。人間は誰しも不完全です。
自分の持つ障害に気付き、それを克服して幸せを感じること。そうすると、やがて「全てが一つに繋がる」ことに気付くことが出来ます。
私は21世紀の日本人が、数多の災害を経て、たくさんの気付きを得たと感じています。
世界の意識レベルの上昇に、これから日本と日本人が極めて大きな貢献をすることになります。
そのために必要な道とは、自分自身の障害、つまり才能に気付くことだと確信しています。
年末ヨーロッパへの途上、機内で読んだ旺季志ずかさんの「臆病な僕…」と言う本。
私の人生観とあまりに合う内容で、本当にビックリさせられました。読み終えて、思わずガッツポーズしてました。^_^
横浜の自宅から
皆様に素晴らしい人生が
2017年訪れると確信して
今年もよろしくご指導賜りますよう。
村中大祐
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