日本でもおなじみの
「お友達価格」という言葉。
果たしてこれが国際政治の舞台で通用するか。
いわゆるメタファーですが
仲良くしておくことは
いいことなのです。
皆さん、確か覚えておられるかと思いますが
アメリカがワールドトレードセンター崩壊後に
アフガンに派兵したとき
日本の小泉首相とイタリアのベルルスコーニ首相が
こぞって当時のアメリカ大統領ブッシュさんに
協力を申し出ました。
このとき左翼から極右とされたベルスコさんですが
どうでしょう。
プーチンさんとも仲良く、
メドヴェージェフさんとも仲良く。
うまい!
これは見習うべきではないでしょうか?
ところで
ロシアの帝政時代について
パリとの関係について
ある記事が面白いと思いました。
ピエール・モントウーと言えば
ストラヴィンスキーのペトルーシュカや春の祭典といった音楽を
初演指揮した有名な指揮者ですが
以下モントウーのことについて触れた記事です。
In 1911 , the year Monteux began his association with Diaghilev by conducting the premiere of Strawinsky’s Petrushka, he founded the first concert series of his own; eventually it would be called the Concerts Monteux, just as other conductors~Pasdeloup and Colonne, later Straram and Koussevitzky ~ labeled their Paris series with their own names, but initially Monteux called his the Concerts Berlioz.
While Monteux identified Brahms, Beethoven and Wagner as his favorite composers, and resisted being confined to the French repertory in certain situations, he did have a deep affection for the music of his compatrirots, and a virtually unique authority in much of it. There is hardly a need to list the reasons Berlioz was the French composer he revered most, but it might be noted that his own rise was part of the chain of events initiated by Berlioz’s visit to Russia in 1867, the remarkable cross-pollination of French and Russian music that eventually led to Diaghilev’s presence in Paris and his commissioning of music from both French and Russian composers.
It was Monteux’s part in Diaghilev’s enterprise that made him a standard-bearer in that thriving Franco-Russian tradition.
というわけで
文化も結構役に立つわけです。
ベルリオーズがロシアに行ったから
デイアギレフがパリに来たのかどうか。
ちょっと調べてみる必要はありますが。。。
でも私は知りませんでしたから
おもしろい話ですよね。
さあ、日本をどうしましょうかね。
維新もいいんですが
前にも書いたんですが
そのエネルギーは極めて極端なエネルギーですね。
「誰も殺さない」つもりだった龍馬の考え方は
友好的っていうんですか?
維新の滾るような迸るようなエネルギーを
時間をかけて
別の方向に逸らすつもりだったのが
龍馬さんではないですか?
人を守り、愛し、育て
海外と交易して日本を豊かにする。
でも深いところで「日本が遅れている」っていう
共通認識っていうんですか。
そういうものを昔も今も持っているのでは?
日本は遅れてないですよ。
凄い国です。
だからあまり過激にならず
うまくやりたいですね。
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