From:村中大祐
色と音。
これはもう私の大切なテーマで
常にこの話が身辺につきまとって
離れない。
フランス人の作曲家オリヴィエ・メシアンが
鳥のモチーフを世界中で採取して
それを楽曲のなかに持ち込んだことと
彼が非常に色彩のヴィジョンを大切にしたことは
2つのメシアンの特徴とされるが
正直言って
メシアンの曲のなかで
鳥の声は判別可能だが
色彩となると、うーん。
私にはわからない。
むしろ色々なテクニックに凝り過ぎて
色がぼやけた印象しか残らない。
現代というのはこのメシアンの曲に似て
ともすると自分の知覚するものが
ぼやけてしまう。
それは情報過多だからか。
では私の場合何を感じて
色と音のことを語るか。
面白いのはバロックの時代。
この時代もわたしにとっては
一様にモノトーンに見える。
だが。。。
実はその中に色彩が
鮮やかに見えてくる場合も多い。
瞑想して雑念を処理していくと
頭がクリアーになるのと同じで
音を処理して減らす
集中する対象を明確にする
これによって
人間の注意力は
深く深く奥へと導かれ
例えばチェロの音のなかにも
極彩色の華やかさを見ることになる。
同じ音なのに
弾き手によって音が違う。
無伴奏チェロ組曲なんて
誰もが弾くけれど
ひとつとして同じ演奏がなく
その演奏する人間が
捉えた世界観が表出する。
そこで色を見るというのは
つまり実際の色彩ではないのかもしれない。
もしかしたら色ではなく
個性とよぶべきものかも。
面白いのは音が記憶と繋がること。
私はバッハを聴いたり演奏するとき
幼少時に常に我が家にあった
京都の清水焼のデミタスカップに描かれた
色なんてのが脳裏に浮かび上がる。
フォーレの曲なら
例えば信楽だったり
備前の粗い表面の茶が浮かんだり。
そういう色と音の妙は
意外に記憶が重要で
ひとは音に記憶を呼び覚まされたり。
そんな聴き方もまた楽し。
今日が素敵な一日となりますように。
横浜の自宅から
村中大祐
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