指揮者の交渉術⑤-1「二者択一」

From:村中大祐

イギリスのマネージャーが
ある時私がイタリアの歌劇場でやった
演奏会を見に来た。

シェーンベルクの曾孫の指揮者の推薦で
私に白羽の矢があたったからだ。

演奏会はそれほどうまくいったとも
思えなかったが
即契約となり、その日から私は
このマネージャーと仕事を始めることになった。

契約するのに英国に赴かなければならない。
ロンドンのヒースローにローマから降り立つと
彼がおんぼろ車で迎えに来ていた。

マイケルはシェイクスピアのゆかりの場所
ストラットフォード・アポン&エイヴォンを拠点に
国際的に活躍するマネージャーだった。

かつてはフルートのジャン・ピエール・ランパルや
私が神格化しているピアニストのルービンシュタインの
英国でのマネージャーも務め
アメリカのレコード会社の社長も兼務していた。

「ダイ、お前はコンサートとオペラの
どちらを選ぶのだね?」

正直その質問を受けた30歳になりたての私は
答えに窮した。
というのも、どちらもやるつもりでいたからだ。

今になって思うと
ウィーンという場所やドイツ語圏に生きる指揮者、
あるいはイタリアの歌劇場などで仕事をする指揮者に
オペラとコンサートの、どちらかを選べ、と言うのは
非常に難しい宿題、ある意味人生を分ける話だった。

私の場合まだ仕事が始まったばかり。
イタリアではオペラよりコンサートの回数が多く
どちらかと言えばコンサートの指揮者として
動きだしていたかもしれない。

だがオペラ座での経験も既にかなり豊富になっており
トレヴィーゾ、トリエステ、ヴェネツィア、マドリード、ジェノヴァ、カターニア、パレルモ、ローマ、ボローニャ、ヴェローナ、フェラーラ、コセンツァ、バリ、レッチェなど思いつくまま挙げても、一体いくつのプロダクションに関わったのか
思いだせないほどだ。
既にオペラのレパートリーも35を超えていた。

そのためにドイツ語やフランス語、イタリア語を鍛えに鍛えて来た。

だがこの英国人マイケルは見方が違っていた。

「オペラかコンサートか」

よく持ち出す話題だが、アメリカのシカゴ交響楽団の一時代を築いたフリッツ・ライナーというハンガリー出身の指揮者がいる。

音楽通の人ならご存知の名前だが
アメリカの50年代から60年代にかけて
名指揮者として特にその録音に定評があり
カーチス音楽院ではあのバーンスタインに指揮を教えていた。

彼が昔インタビューで「コンサートかオペラのどちらが主ですか?」と訊かれた際に答えた返事がこれだ。

「私がコンサートをしていると、オペラ座が恋しくなる。
オペラをやっていると、その反対(Vice Verse)だ。」

指揮者の系譜を見てみるとよくわかるが
1.オペラを「敢えて選ばなかった」指揮者
2.コンサートのみの指揮者になってオペラは振らない
3.オペラ座で指揮を続け、殆どコンサートを指揮しない

簡単に言えばこの3択だ。その中から自分の生き方を選ぶ。
マイケルは私にそれを迫って来た。
だが私には選べなかった。

「マイケル、悪いが偉大な指揮者は皆が両方をやって来た。
私も両方を選ぶつもりだ。」とそう答えておいた。

だが、正直「決めろ。さもないと殺すぞ!」と脅されたなら
私は”当時なら”オペラを選んだかもしれない。
今なら”コンサート”だ。

交渉の場、まだまだ話は続く。

今日も素敵な一日を!

横浜の自宅から
村中大祐

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