この表題は僕のここ20年間のテーマ。インタビューがあるごとにこの話をしているような気がする。

ピアニストになりたかった頃、音は精神の流れだと思っていた。

ところが、あるとき一人のイタリア人彫刻家に出会った。Pericle Fazzini。

馬上で逆立つピエロや、奇妙な貝殻の彫刻に、その造形美とバランス、そしてメッセージ性に圧倒された。当時既にあの世の人だったが、世田谷美術館と鎌倉で3度通うほどの熱の入れようだった。

そして樂吉左衛門氏の器。

京都の樂美術館を訪れた時のことだ。長次郎の黒楽から現代にいたるまでの楽焼の変遷が示されていた。そこには芸大やイタリアで、彫刻という観点から楽焼というものを見直しすことによって、自身の伝統、いやむしろ日本の伝統への問いかけと、未来への可能性を集約しているように見えた。純粋に日本の伝統美の中でのみ生きるのではなく、ある違った視点から、つまりどこか別の伝統の中から己を見つめることの凄味を味わった気がしたのだ。

音にも形があるとわからせてくれた人との出会い。

単なる理屈では語れない、いずれも僕が21歳の感性で捉えたもの。

このお二人の作品もMy Favorites。