8月からピアニスト列伝は、村中大祐会員サイトで運営することになります。
もう一度ピアニストについて、かなり詳しく掘り下げて行くつもりです。
ですから相当勉強もしなければならないんですけどね。
例えば昨日はラフマニノフ(演奏家として)、今日はシュナーベルという具合に調べていますが、
本当に話さなければならないことが多いのです。
それを知ることが、いわば私を音楽家に仕立て上げてくれたようなものですから。
一種のモチベーションだったんですね。
ウィーンで勉強していた時は本当に大変でした。
日本ではプライベートで音楽の勉強をしていたわけですから、
周囲には音楽家はいませんでした。
学校では多言語にプラスして、経済史や美術史、文学史や錬金術史や哲学史。
歴史が多かったかもしれませんね。
社会学系の話や言語学でしたか。そこに私は英語で演劇をやっていました。
だから音楽とは殆ど無縁の状態で大学に居た訳です。
それがウィーンに行くと音楽漬けじゃないですか。
始めは何も分からない訳ですね。
そこで励ましてもらったのが、昔の演奏家たちの自伝やら手記です。
それを読むことで自分を鼓舞していました。
これらを読むと彼らの考え方にアクセスできて、
まるで自分がその時代に生きて、音楽と向き合ったり、
当時まだ存命だった人達と出逢ったりするような錯覚に陥るんです。
実際にその後、私の師匠と一緒に仕事をしながら教えてもらいましたが、
師匠は20世紀の生き字引でしたから、
本当に色々な話を「生で」聞くことになりました。
つまり時代の遺産を継承する、ということになるわけです。
それを今は、物流が発達し、インターネットがありますから、
日本に居ながらにしてできるわけです。
でも多分、普通に考えれば、音楽家はそういったプロセスを、
あまりやっていないんじゃないかと思います。
気が付かない。むしろ一般の音楽愛好家がやることだと、
プロになりたい人はバカにしているでしょう。
プロもバカにしているかもしれませんね。
私の座右の銘があるんですけどね。これはパオロ・コエリオという
ブラジルの作家で魔術師が書いた本の中に見つけた言葉です。
lo straordinario e’ del cammino delle persone comune.
つまり「素晴らしきは普通の人たちの人生の方だ」っていうワケです。
何か特別な人生なんかじゃなく、普通に淡々と生きる人生こそが、本当に素晴らしい。
そういう「淡々とした」アーティストたちが残した遺産を紐解いていく作業を、
私はかなり長い年月にわたってしてきたつもりです。
それはもちろん、モーツァルトの手紙やら、ダ・ポンテの手記やら、カサノヴァの回想録やら。
そういうものも含めて、時代の香りを手に入れるためには必要だった。
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