【日本人と裏切りの美学】

日本という国は
もどかしい国。
大事だと分かっている価値に
手を伸ばして取ることを
できない国。
そういう教育を強いられて
自分に正直な人がいない。
今。わたしたちは
分岐点にいると思う。
多くの人が
自分の欲しいものが分からない。
みんなが、同じだから
安心しているのだろうけれど
欲しいものに忠実な人を
羨ましがっていないで
取りに行けばいい。
なのに、それができなくて
人を羨むのは
もう終わりにしないと。
そういう社会が延々と続くと
本当に大事にしたい価値を
大事にできなくなる。
その社会をつくっているのは
あなたなんだから。
わたしが学生時代
バブルが崩壊するちょっと前。
今の日本を支えている人達は
我慢すれば良い生活を送れると思って
みんな、生きて来たと思う。
やりたいことがわからない。
モラトリアム。
そう言われた世代だ。
そしてバブルが崩壊し
日本の軸が失われた。
我慢すれば良い生活ができる
そう教育されて
みんなが我慢をしてきたはず。
でも、それだけでは
何かが足りない。
その何か?ってなんだ?
私がヨーロッパに行っても
アングロサクソンの世界では
同じような我慢と競争が待っていた。
しょうがないから
その中のルールで生きた。
競争して勝ったり負けたりして
結局何が大事なのか
わからなかった。
ある時イタリアに行って
自分が動物だったことを知ったら
彼らが持つ愛情の深さに癒されて
自分が誰だか
わかるようになった。
別にイタリアが偉いわけじゃない。
日本にも同じものがあったはず。
でも、少なくとも
私が知る日本には
この愛情はもうなかった。
人はお腹を開けて話すと
わたしを裏切った。
だから、裏切られると思っていたのに。
彼らは私を裏切らない。
日本人には、最後のところで
腹に一物をキラリとさせる人が観えることが多い。
彼らも最初はそうではなかったと思う。
裏切られても信じ抜く。
仲間を守り抜く気持ち。
そういう教育は
競争で出来上がるとは思えない。
自分が日本で受けた教育は
本当に守りたい価値を守る人間を作っているのか?
そこは、はなはだ疑問だ。
少なくとも私がイタリアに行くまでは
宗教家も教育者も仲間も友達も
誰もが最後のところで
仲間を切って捨てる眼を持っていたように思う。
愛を教えることは
愛を語ることでは無理だと思う。
音楽は私を裏切らなかった。
おそらくは、音楽のなかに
本物の愛があるのだろうと思う。
8月がやって来た。
若い世代と語って思ったことは
昭和の価値観のなかで
年寄りが大事にできなかった価値を
彼らなら取り戻せるかもしれない、ということ。
苦労をいとうな。
悩め。
感じろ。
そして、本当の愛をもて。
ひとりの人間であることを忘れるな。
自分にも他人にも、裏切りを許すな。
こう書いて来て思うことだが
わたしたちは
いつの間にか
大義のためなら
人を裏切る教育を受けている。
本当に、これでいいのか?
大多数が、実はコレだ。
本当に、これでいいのか?
子供の頃の純粋な眼を
どうか、失わないでほしいと
そう願わずにはいられない。
むーらん
追伸:どうか、わかったつもりにならないでほしい。

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