自分と日本
@af
【日本人と裏切りの美学】
大事だと分かっている価値に
手を伸ばして取ることを
できない国。
そういう教育を強いられて
自分に正直な人がいない。
そういう社会が延々と続くと
本当に大事にしたい価値を
大事にできなくなる。
今の日本を支えている人達は
我慢すれば良い生活を送れると思って
みんな、生きて来たと思う。
私がヨーロッパに行っても
アングロサクソンの世界では
競争して勝ったり負けたりして
結局何が大事なのか
わからなかった。
ある時イタリアに行って
自分が動物だったことを知ったら
彼らが持つ愛情の深さに癒されて
自分が誰だか
わかるようになった。
でも、少なくとも
私が知る日本には
この愛情はもうなかった。
日本人には、最後のところで
腹に一物をキラリとさせる人が観えることが多い。
仲間を守り抜く気持ち。
そういう教育は
競争で出来上がるとは思えない。
自分が日本で受けた教育は
本当に守りたい価値を守る人間を作っているのか?
少なくとも私がイタリアに行くまでは
宗教家も教育者も仲間も友達も
誰もが最後のところで
仲間を切って捨てる眼を持っていたように思う。
おそらくは、音楽のなかに
本物の愛があるのだろうと思う。
昭和の価値観のなかで
年寄りが大事にできなかった価値を
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