「音楽家に必要な条件」は、時代を超えて変わらないと思う。
1.なぜ音楽をやるのか?を問うこと。
2.自分の音を聴く人に何を届けられるか?を考えること。
3.自分が生きる時代や国に何を発信できるか?を知ること。
これらが大事であることは、変わらないと思っている。
音楽がエンターテイメントだとすれば
それを追求すればよいと思う。
私のような人間は、どちらかといえばメッセージを考えている。
音楽を単なるエンタメとは思っていないから。
そういうところもまた、時代との兼ね合いで
自分のポジションをはっきりさせていかないと
結果的には「その他大勢」の中で埋もれて見えなくなっていく。
でも多くの人はそれに気が付かないまま
なぜか「うまくいかない」と思ってあきらめていくのが常のようだ。
今の時代は、何を仕事にしても見通しが立たないものだ。
一億総中流を標榜していた時代も影を潜めて
今では貧富の格差は尋常でないほどに広がっている。
それと音楽がどう関係するか?と訊かれそうだが
実は非常に関係性が深いと思う。
私自身が、その他大勢と同じように
自分の未来を「人に託して」生きていた時代があった。
そこで痛いほど感じたのは
「人に未来を託して」いては
自分の表現の自由が奪われてしまう、という危機感だった。
自分が学んだこと、自分の好きなこと、自分の表現したいこと。
多くの人にはそれがあると思う。
今は自分の学んだり、経験したことをシェアできる時代になった。
でもそんな中で、意外に芸術家やいわゆるアーティストたちが
声を出せなくて、じっとしているように見える。
なぜか?
それは自分の未来を人に託しているからではないのか?
アーティストというものは
本来自分の言いたいことを人に伝える手段として
自分の作品が存在するはずだ。
ところがアーティストの側に伝えたいことが見えなくなってしまった。
そんな時代のような気がする。
理由は「ながいものにはまかれろ」ではないのか。
飼いならされたアートは、社会の中に
本来感じているものとは違った価値観を与えてしまう。
それは、ハッキリ言って危険だ。表現の自由が奪われてしまった証拠だ。
むしろ感じたことは表現するのが、私たちの務めのはず。
それが言えないのは、何かに守ってもらおうという思いがあるからだ。
これから若い人たちが音楽家になるのは
更に厳しくなると思う。
その前に知っておかなければならないこと。
1.技術とは自分のアイディアを表現する「手段」であること。
2.音楽は演奏すれば、それで済むわけではないこと。
3.伝えるものを常に探し続けること。物事の本質を常に見極めること。
そういったことがどうしても教えられていないようだ。
無理もない。そういう時代がやってきたわけだ。
それらを何とかして伝えようと考えるようになった。
今日も素敵な一日を。
村中大祐
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