From: 村中大祐
とんでもない!と思われるかもしれない。
「外国語は捨てろ!」などと言う人は居ないからだが、
外国人と同じ土俵に立ってものを見ることが可能かどうか、
ここ数十年いろいろな実験を繰り返してみて
ひとつ確信したことが、実はこの言葉だ。
以前「世界で活躍する指揮者のリーダーシップ論」でも
お話したが、日本人にとっては「日本語のレベル」こそが
大事であって、そのレベル如何で外国語の使い方が決まって来る。
私の経験では、外国語を満足に使える日本人に出会ったことは
実のところあまり例がないのだが、
その理由を常に検証し続けてみると、
日本人には大きく分けて以下の2パターンが多いように思う。
1.自分は英語ができると思っていて、発音もいい。実際に英語は使えるのだが、バックグランド(文化・教養)がその国の人間と違うので、アメリカ人やイギリス人と同じ土俵には立てない。
かと言って、日本語でも自分の表現したいことはあまりない。
2.言葉はほどほどに使える(日常会話程度)のだが、実際になにか深い話をしようとすると、言葉が見つからない。でも日本語なら何とか自分の感じたことをうまく表現できる。
これが多いパターンだと思っている。
1を目指しても、結果的には何も語れない。
2なら、日本語だけで充分で、1の人達を雇えば済むことだ。
自分の感性を磨き、自分という世界を深めれば
世界の人々は対等に付き合い始める。
そんなものだ。
だから外国語を一端捨ててみるとよい。
そうすれば見える世界も変わって来る。
まずは自分の言葉をもつこと。
これは重要なことだ。
同じ日本語でも、自分の言葉を持つ人と持たない人がいる。
自分の言葉さえあれば、世界と交信が始まる。
自分の言葉さえあれば、日本も世界になる。
だから「外国語は捨てろ!」なのだ。
横浜の自宅より 村中大祐
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