指揮者になる法③「宝探し」

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From:村中大祐

私は音楽家の仕事とは宝探しだと思っている。

スコアに書かれた音を正確に演奏することなど
誰にでもできること。

だが音楽を一期一会にするには
自分が見つけた宝物を
聴く人たちと一緒に共有する気概が必要だ。

聴く人が「さあ、今日はどんな素敵なことが起きるだろう」
と思うような、そんな宝物を
まずは自分が探すこと。

それができなければ
音楽家としての値打ちがないわけだ。

自分がワクワクするような発見ができれば
その感動を聴く人に伝えればよい。

どうやったら伝わるか?
そんなことを考えなくとも
自分にとっての真実は必ず伝わるものだ。

そして国境や人種の差がそこにはないというのも
音楽の醍醐味だろう。

今日はそんなお話。

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ぶっちゃけた話、指揮者は立っていればいい。
様子を見ながら
その「場」で何が必要か?を判断できれば
指揮者にはなれるはず。

あくまで極論だが
どうしても必要なことがある。

音楽だ。

巷の指揮者を見ていて
どうもこれが一番の問題のようだ。
指揮のやり方は分かるが
音楽をどうしてよいかわからない。

英語はマスターしたが
何を話して良いやらわからないのと同じこと。

では音楽ってなんだ?
そういう話になる。

音楽の捉え方は正直教えられない。
それを教えようとするシステムがある。
それこそが大敵である。

過保護な親と同じことだ。
愛する子には旅をさせよ。
やはり旅をしないといけない。

だが教師とは往々にして過保護なもの。
それがサービスとして定着し
先生として尊敬されるなら尚更だ。

少々行き過ぎたようなので
話を落ち着かせるつもりだが
要するに音楽は言葉なのだけれど
その語法は自分で探す必要があるということ。

そして借り物の語法は
前回から言うように、あくまでも偽物。

自分の語法を見つけること。
自分のことばを語ること。

それが重要なのだ。

音楽で自分の言葉を語るのに
実は多くの言葉はいらない。

音楽を見切る技術。
それさえ身に付ければ
指揮者は本当に立っていればいい。

見切るとは?
見切るには?

色々あると思うが
自分のスタイルを持つこと。
自分のメッセージを読み取ること。

そして音楽のなかに宝探しをしてみること。
見つけた宝は
人に伝える。

それが極意だと思う。

今日も素敵な一日を!
横浜の自宅から
村中大祐

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