引越しの荷物から出てきた
司馬遼太郎全講演(2)という文庫本に
幕末の土佐人の特異さについて触れた箇所がある。
そこには
土佐という場所が生んだ人も文化も
それはみな
土佐弁から来たのではないか
という仮説に基づいている。
これ
面白いとおもいませんか?
言葉から文化が決まるっての。
私は関西人ですから
私の関西弁を受け入れてくれると
私自身ほっとするんですが
私の関西弁を受け付けない人がいるんですよ。
幼稚園の年長のとき
大阪から千葉に引っ越したんですが
道路を走っているトラックが
よく大根を落としているのを見かけましたね。
それを拾って帰っては
得意げに「今夜は大根の味噌汁!」とえばっておりまして。。。
千葉で関西弁をしゃべっていると
「イナカモン」と馬鹿にする輩が多かったのを思い出します。
それが関西弁を家の外では使わないきっかけとなりまして。。。
でも自分のアイデンテイテイはどういうわけですか
今も関西です。
自分の関西弁を受け入れてもらうと
ほっとするわけです。
外国にいきますと
いろいろありますが
自分のしゃべる言葉を
「へ?」と聞き返されるのが
一番腹立ちます。
多くの人はわかっていてもわからないふりをする。
これと同じことを日本で関西弁でやられるわけです。
この年になりますと
関西弁のイメージが定着しておりませんから
関西で関西弁をしゃべると
友人から
「その関西弁おかしい」と揶揄される。
それが「友情の決裂」に向かう第一歩。
そのくらい
方言というものは
自分の根幹を成すタイソウなものなわけですな。
以下
司馬さんの言葉ですが。
「土佐人の持っているどういう能力が
これらの文化を生んだのでしょうか?」
「おそらく土佐弁そのものにあると、
私はおもったりするのです。」
「土佐弁は非常に明晰な言葉ですね。」
「皆さんが平素しゃべっておられる土佐弁には、行くのかいかないのか、
よくわからんというような、そういう曖昧な言葉はないでしょう。
ほとんどありません。
赤か白かというように明晰であります。」
これ、司馬さんの土佐での講演だからですが
非常に興味深い話であります。
わたしは自称「方言でしゃべろう友の会」会長ですから
東京の街が方言によって潤う日を
楽しみにしています。
それこそが
自由への第一歩であり
「違うもの」を受け入れる第一歩であり
文明開化への第一歩だと思うわけです。
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